花形のニンジン


 違うということ、同じということ、そしてそれからカレーの辛さ


 緑間との同棲を始めた高尾は、その人間を作る家庭環境の違いを思い知らされていた。掃除の周期、ゴミの始末の仕方、水周りの扱い、朝食は和食か洋食か、エトセトラエトセトラ。初めて他人と暮らす二人の前に、家庭ルールというやつが襲い掛かってきたのである。

 高尾は緑間が好きだ。友情としても恋人としても、そして何よりまず人間として彼のことが好きなのだ。何事にも真摯で、愚直なまでにまっすぐで、不器用に優しくて、もっと上手い生き方が出来るだろうに対人関係においてちっとも発揮されない頭の良さとか、そういう諸々が大好きである。それを知り、カバーし、フォローするのは高尾にとって苦ではなかった。緑間を形成する一直線を守り、その良さに触れるのは幸せなことだった。

 高尾は同棲をするにあたって、緑間の一切を損なわぬように支えたいと考えていた。しかし、緑間を形作るこまごまとしたルールを守り、緑間を理解するということは予想していた以上に大変なことだったのだ。
 緑間と高尾とでは同じルールより違うルールのほうが多い。しかもその違いはささやかにして重大だ。さらに悪いことに、これらを実際とり行うのが圧倒的に高尾であり、そして高尾家ルールで施行されるあれこれに唯我独尊緑間様は黙っていないのだった。

 高尾、今日は掃除しないのか。高尾、分別が出来てないのだよ。鏡を濡らしてしまったら拭くように言っただろう高尾。なんだこの甘い卵焼きは。おかずにならないではないか。おい高尾、味付けが辛すぎるのだよ。今度は味が薄いぞ、高尾。


「どこの亭主関白だっつの!!」

 だん、と包丁に力をこめてニンジンを切る。共同生活なのだから緑間も協力しろと言いたいところだが、彼は自分とは違って現役のプロバスケットボールプレイヤーであり、その左手は人事を尽くされ続けている。緑間の3Pシュートが、家事の所為で精度が落ちるだなんてあってはならないと買って出たのは高尾だ。「文句があんならテメーでやれよ」とは決して言えない。
 それに家事の一切を高尾が取り仕切っているというわけでもない。その分配は高尾のほうが多くとも、緑間とて指に影響が出ない限りはむしろ進んで請け負うぐらいだ。彼なりに共同生活をしているつもりなのだろうし、わがまま3回を行使していた緑間が「手伝う」と言葉少なに取り組む様は、どうしたって愛おしいのである。
 高尾は緑間に甘かった。自覚はある。惚れた弱みなのだよ。

 緑間にはもとより口うるさいところがあったのだ。高校生のときからそれは分かっていた。言い方への気遣いこそ無いが、良かれと思ってあれこれ指摘するのを高尾は何度も聞いてきた。たとえばフォームの癖、ディフェンスの仕方、練習配分、等々。誰彼構わず言うものだから、1年のときはキセキの世代というやっかみに加えて「1年のくせに生意気だ」と反感ばかり買っていた。しかも当人は体育会系特有の縦社会をものともせずに「学年は関係ありません。悪いところは改善すべきです」などと返すものだから、何度主将の胃を慮ったか知れない。
 それが自分との共同生活に向いただけの話だ。大雑把な高尾家よりもこの子にしてあの家ありの緑間家ルールは流石にきっちりしていた。手間はあれども無駄は無い。味付けに関しては完全に互いの好みによるものだが、それ以外は高尾が緑間に合わせた方が良いのだろうと理性では判断していた。

(真ちゃんが色々手伝ってくれてんのは分かってる、分かってんだよー)

 でもな、オレだって仕事があってその上家事もとなりゃ雑にもなるっつーのと高尾はニンジンを切り終え、輪切りにしていたそれをまな板の上に並べた。引き出しからクッキーの型を取り出し、ニンジンをくりぬく。花形のニンジンとその穴の開いた円いニンジンが誕生し、高尾は両方を鍋に入れた。
 以前、何かの折で貰ったクッキー型の活用に悩み(高尾も緑間も特別菓子を作るような趣味が無かった)、なんとはなしにクリームシチューのニンジンを花形にして出したところ、緑間の目がきらきらと光ったのだ。緑間はニンジンが花形であることについて結局何も言わなかったが、あの日以来高尾はシチューに限りこの手間をかける。(正確に言うと高尾はそれを手間と思っていない。)

 明日の緑間・高尾家の夕飯はクリームシチューである。


***


「高尾、明日の晩は特に予定が無かったな?」
「ん?うん。真ちゃんもいつもより早く帰ってくるっしょ?」
「ああ」

 今晩は鮭の塩焼きを中心にいかにも和食なメニューを取り揃えた。高尾家では麻婆豆腐の隣にほうれん草のおひたし、なんてことも間々あったのだが、緑間は和食なら和食、洋食なら洋食と取り揃えるのを好むようで、知らなかった当初はいちいち「これは中華だ」「これはイタリアンだ」とぶつくさ言うのを高尾はぽかんと聞いていたものだ。どうしたところで主食は米なのにと思いながらも、同じ国の料理を揃えるのに高尾はすっかり慣れていた。

「いただきます」
「どーぞ。いただきます」

 冷凍食品でも惣菜でも緑間は「手抜きだ」とは言わない。しかしどう嗅ぎ分けるのか高尾の手作りに対しては必ず感想を述べてくるので、高尾はつい出来るだけ自分で作ろうとする。手作りのレパートリーは少ないためどうしても同じようなメニューのくり返しになるのだが、それについて緑間が文句を言うことは無かった。

「ん」
「塩効きすぎた?」
「いや、美味いのだよ」
「そっか、良かった」

 それから緑間は「美味しい」と言うようになった。高校のときに弁当のおかずやコンビニで買ったお気に入りのパンなど様々な食べ物を高尾は押し付けてきたが、好みに合っても返事は「悪くないのだよ」が最高ラインだった。それが同棲を始めてから緑間はそのラインを引き上げ、美味しいと感じたものは素直に口にしてくれる。

(胃袋を掴むって言うけど、なんだろうなあ。胃袋を掴ませるっつーのかなあ)

 緑間に「美味い」と言ってほしいがために、高尾は料理に対して熱心になってしまう。卵焼きには砂糖を入れる派だった高尾は、いつの間にか出汁巻き卵を作るようになった。辛いものは辛くあれと思う高尾とそんなものはただの刺激物に過ぎんと言う緑間との確執は根深いけれど、よくお世話になるカレーは中辛(牛乳少々)で互いに妥協している。キムチ鍋など夢のまた夢だ。おしるこは作ってやってるというのに。
 気が付けば家庭ルールも料理の味もしっかり緑間ナイズになっていた。オレは嫁かと頭を抱えながら黙々と魚をほぐす緑間を見る。まず魚を口に入れ、ゆっくりゆっくり食べた後、米をひとくち、これまたゆっくり噛みしめるように食べた。ああ、本当に気に入ったのだなと高尾の口元は思わず緩む。塩の量はどれほどだっただろうか、あれぐらいが緑間の好みなのだなと高尾がインプットしていると、咀嚼し終えた緑間がおもむろに切り出した。

「明日は外食にするぞ」
「へ?」
「評判のカレー専門店を紹介されたのだよ。お前、辛いものが好きだっただろう」
「んー、まあ……」

 おそらくこれは緑間なりの好意なのだろうと高尾は判断する。いかなる経緯でそんな紹介を受けたのかは分からないが、自分は辛いものがダメなくせに高尾のために一緒に行こうと誘っているのだ。  高尾はちらりと台所に鎮座する鍋を見た。中にはルーを待つばかりのシチューの具材が煮込まれている。もう一日先に延ばしても料理として問題はないだろうが。

「どうした」
「えーと、真ちゃん。カレーの次がシチューになっても大丈夫?」
「シチュー?すでに作っていたのか」
「まあ、それは冬だし、もつし、いいんだけど」
「そうなのか」

 料理がからっきしの緑間は高尾の言葉を丸呑みすると、「ビーフシチューか?」と訊ねた。

「んにゃ、クリームシチューの予定」
「なら問題ないだろう」
「そ?」
「クリームシチューとカレーはまったくの別物なのだよ」

 そうだろうか。高尾にしてみればルーが違うだけでほとんど同じ料理である。けれどもそれは作る側の発想らしく、緑間はきょとんと不思議そうな顔をしていた。高尾はそれを見てそんなもんかと思い直す。

「じゃ、明日はカレーでシチューは明後日な」


***


 翌日、連れて行かれたのは内装からして辛そうな赤と黄色の店だった。緑間は入るなり嫌そうな顔をしたが、引き返すことなく案内に来た店員に「二人だ」と声をかける。夕飯には少し早い時間に来たため店の中の人はまばらだ。お好きな席にどうぞと言われ、緑間と高尾は4人がけの席に座った。

「ふはっ、真ちゃん、赤にも黄色にも映えんね〜。目ぇチカチカするー」
「不可抗力だ」

 緑間は眼鏡のフレームを上げ、その手でメニューを取り出した。二つあったそれの一つを高尾に渡し、二人そろって広げる。中にはたくさんのカレーと辛さの基準が書かれていた。『究極』などと銘打たれた辛さを見ていたら、緑間がまたそんな刺激物をというような眼で高尾を見下ろす。一方緑間はお子様用に並ぶ『ゼロ辛』というゾーンを見ていた。真ちゃん、と緑間を見る高尾の眼も生温かい。無言だったのにも関わらず「うるさい」と高尾は言われてしまった。

「究極は止めておけ。相当に辛いとの話なのだよ」
「へえ。そうだな、初めてだしちょっと様子見るか」

 そうして高尾は二つほど辛さのランクを下げた。緑間は予定通り辛さゼロと書かれたカレーを頼む。ライスかナンか選ぶセットで、高尾がオススメと書かれたナンを選ぶのに対し緑間はライスセットにした。しかも二種類用意されたライスの内、本場インドで使用されているとのうたい文句が載る米を無視して日本米を選ぶ。高尾は心の中で「何でそこは揃えねーんだよ」とつっこんだ。

「真ちゃんって白米好き?」
「玄米も嫌いではないのだよ」
「いやそーでなく。日本米好き?」
「日本米は好む好まないで食べてるのではないのだよ」
「ブッフォ!」

 噴き出す高尾に緑間は不機嫌そうに応じた。笑うところなどあっただろうかと思っていると、高尾は口元を覆いながら「真ちゃんバスケにも似たようなこと言ってたじゃん」と言う。あの忌々しいお好み焼き屋での件かと緑間が露骨に顔に出すと高尾はさらに笑った。

「あれとはまた違うだろう」
「そう?」
「ああ……、?」

 ふと、高尾が覗き込むようにこちらを見上げていることに緑間は気付く。その顔があまりにやわらかだったので緑間は小さく息を止めた。その視線は優しく「ほんとうに?」と訊ねている。緑間は少し考えてから、結局まとまらないまま声にし始めた。

「オレは、バスケと食事が同意義とは思わないが」
「うん」
「日本米を摂るのもバスケに取り組もうとするのも、オレの中では同じ、自然なことだ」
「うん」

 高尾は、「それは好きということではないのか」とは言わなかった。味の好みは合わないくせに、こういうところの感覚に限って一致してしまうのだからこうして共に居るのだろうと思う。

 高尾はバスケが好きだった。嫌いになった。やめられなかった。諦められなかった。だからこそ出会えた緑間、秀徳というチームだ。一生分のバスケを詰め込んだ学生時代、様々な感情を綯い交ぜにした部活は高尾にぴったりと寄り添っていた。
 高尾にとってこの手がバスケットボールに触れること、そして緑間に向けて放つことは、食事のように積極的な自然の摂理だった。それは好き嫌いや楽しい楽しくないという気持ち以上の、大事な何かだった。

 今でもそれは、琥珀の中で息づいている。

「お待たせしました」

 同時に運ばれてきた二つのセットは、トマトスープみたいな色のカレーにナンが添えられたものと、オーソドックスに茶色いカレーライスだった。同じ店で頼んだカレーという同じ料理なのにこんなにも違うと、高尾は奇妙な可笑しさを覚えて緑間に話しかける。

「同じ『カレー』なのに全然違うのな」
「どちらもカレーだ、根底の在りようは同じだろう」

 高尾がぱっと顔を上げて緑間を見ると、緑間はなんだという風に視線を返した。なんでもないと高尾は笑んで、携帯電話を取り出し自分のカレーと向かいの緑間が入るように写真を撮る。赤と黄色の中に突然現れた緑はとても異質だった。そのコントラストに高尾は目を眇める。
 高尾が写真を撮っているあいだ緑間は動かなかったが、撮り終えたのを確認すると「行儀が悪いのだよ」と苦言を呈した。食事は撮るものではなく摂るものというのが彼の持論だ。

「記念だから見逃してよ真ちゃん」
「は、記念?」
「この店が、いいよと君が、言ったから。○月×日、カレー記念日」
「なんだそれは」
「あれ、結構有名だと思うんだけど知らない?」
「いや、元はわかるが」

 緑間は顔をしかめて高尾を見遣り、「まあいい、冷めてしまう」と考えるのをやめた。手を合わせていただきますと言う緑間に倣って高尾も続く。ナンは比較するほど他を知らないので分からないが、カレーの味は流石評判の店というだけあってとても美味だった。

「うひー辛い!究極だとどうなんのこれ!真ちゃんのアドバイスきいといてよかったー!」
「美味いか」
「うまいよ!からうま!ひっさしぶりにこんな辛いの食ったわー」
「そうか」

 じわりと鼻先に滲む汗を拭いて、カレーをナンで掬って食べる。どれもあの家では出来ないことだ。おいしいおいしいと食べる高尾に対し、緑間は神妙な顔をしてカレーライスを咀嚼していた。

「どったの真ちゃん。辛かった?てか一口貰ってもいい?」
「辛くはない。……ほら、持っていけ」

 スプーンを差し向け、緑間が高尾のほうへと皿を寄越す。しかし高尾はそれを取らず、にっこり笑ってぱかりと口を開けた。

「あーん」
「……高尾」
「オレ今手ぇきれいじゃねーし。なっ、真ちゃん」

 緑間は、それはもう物言いたげな顔をして、口を開けた間抜けな状態の高尾にカレーを押し込んだ。さっさとスプーンを引き抜き、唇を引き結んで高尾がカレーを飲み込むのを待つ。高尾は勢いにのまれながらも味を確認すると、確かに辛さの無い、けれどもスパイスを感じるカレーだった。厚い牛肉にカレーが滲み込んで食むとやわらかく切れる。カレーは辛いものというのが高尾の論だが、これは料理として充分評価に値するものだった。

「うまいじゃん!」
「誰も不味いとは言ってないだろう」
「や、そうだけど。真ちゃんなんかミョーな顔してっからてっきり」

 緑間は自分のカレーライスに視線を落とし、一口掬って食べた。何故か刻まれる眉間のしわに高尾は首を傾げながらもナンを千切る。一応「ひとくち食べる?」と訊ねると、緑間は「そんな見るからに辛そうなもの」と一蹴した。高尾もこの辛さは緑間に合わないだろうと大人しく引き下がる。高尾が最後にナンで皿を拭いあげる頃には、緑間は腕を組んで何かを考え込んでいるようだった。

「珍しく先に食べ終わったね真ちゃん」
「高尾」
「ほい」
「腹は空いてないか」
「は?」

 それは先ほどまで食事を共にしていた相手に言うことだろうか。  確かにライスではなくナンを選んだ高尾は、ボリューム的に少し足りないと思っていた。しかしそれも腹八分目という具合で決して腹が減っているとは言えない。緑間の米の量が少なかったとも思えないが、何か追加注文するのかとメニューに手を伸ばしたところで緑間は立ち上がって「帰るぞ」と言った。何なんだいったいと高尾は釈然としないまま後に続く。
 資金元は同じなので奢るも何も無いけれど、とりあえず財布を預けられている高尾が支払いを済ませると帰りの道すがら緑間が声をかけた。

「高尾」
「なに、真ちゃん。デザートでも買いに行く?」
「カレーが食べたいのだよ」
「はあ?」

 今度こそ高尾は何を言い出すんだコイツという顔を緑間に向けた。自分たちが今しがた食べたのはカレーではなかったか?
 見上げた先の緑間は至って真面目な顔をしていた。そしてもう一度「カレーが食べたい」と言う。

「え……っと?」
「今からは無理か?」
「あ、あー、作れってこと。まだシチューのルー入れてないからカレールーさえ買えばどうとでもなるけど……」

 昨日言っていたシチューは仕事から帰ったら仕上げようと思っていた。けれど緑間の予想より早い帰宅によってそれは後回しにされ、鍋の中では豚肉、じゃがいも、たまねぎ、そして花形のニンジンがその味付けを待っている。

「高尾」
「……いーけど」

 そうして立ち寄ったスーパーでいつものルーとレンジで温める米、ついでにトイレットペーパーを買った。ルーと米は高尾の左手に、トイレットペーパーは緑間の右手にある。二人は家に着くまでの少しのあいだ、隠れるようにして手を繋いだ。真ちゃんがそういう日用品持ってんの、未だ慣れねぇやと高尾はくすぐったそうに言った。


***


 出来上がったカレー(中辛・牛乳少々)を先に温めておいた米の上にかける。作っているうちに食欲の湧いた高尾は自分の分も用意して、二人でまたカレーを食べることにした。向かい合わせに座って二人でいただきますと手を合わせる。
 緑間はいつものように米のほうから掬って、ひとくち、カレーを食べた。それを見ながら高尾もスプーンを口に運ぶ。
 いつものカレーだ。スーパーで安かった肉と少し煮込んだだけの野菜が入っている。スパイスはルー頼り、隠し味にと言われて意味も分からず入れてるチョコは活躍しているか分からないし、具材はみんなゴロゴロしてる。店で出されたような、具が煮とけて重くなった濃厚なスープではない。一般家庭の普通のカレー。

 けれども視線の先の緑間はどこか安心したように肩の力を抜いて、「やはりこの味がいちばんなのだよ」と言った。高尾はあまりのことにスプーンを落とす。カランと皿の上で銀が跳ねた。

「しんちゃん?」
「ん?」
「だってこれ、辛いよ?」
「辛くなければカレーではないだろう」

 なんだそれと高尾は口を閉じるのも忘れて緑間を見た。彼は辛いものが苦手なのではなかったのか。緑間も自分の発言に納得していない様子で、「いや、違うな」と言葉を探す。

「単に、このカレーが好きなのだよ」

 今度こそ正確に表現できたと満足げな顔をし、緑間はまたカレーを食べ始めた。一拍後れて高尾の顔が熱くなる。じわりと滲む汗にこのカレーはそんなに辛くなかったはずだろと分かりきったことを考えた。

 高尾家ではみんな辛口だったカレー。そこから一つランクを下げた中辛に、牛乳を加えた今のカレーはずいぶんとマイルドで高尾には物足りない。一方おしるこばかり飲んで甘味に浸る緑間には少し辛いカレー。それを緑間はいちばんだと言う。

 動きを止めた高尾に何を思ったのか、緑間はカレーを一口高尾に押し込んだ。ごく普通だった味がやけに舌になじんで、これがうちの味かと高尾は思った。緑間家と高尾家をすり合わせた先。二人のあいだの味。

「……な、真ちゃん。うちのカレーおいしい?」
「さあな。美味さではあの店のほうが勝るだろう」
「そこは嘘でもこっちのがうまいって言えよ」
「好きだと言ったろう」
「……一緒に暮らすようになってから真ちゃんなんかずりぃ」

 高尾が熱い頬を押さえると、緑間は心外だという顔をした。言うに事欠いてずるいとはどういう了見なのだよと声が聞こえる。緑間は自分のたった一言がどれだけ高尾を縛り、救い、侵略していくのか知りもしない。どんどん緑間色に染まるこの家で、高尾の挿す色が新しい色を生む、それがどんなに嬉しいかも彼は知らない。高尾が緑間を理解出来ないように、緑間も高尾の全てを知る日はこの関係がどんなに続いても来ないだろう。

 全部守らなくてもいいかと高尾は思う。全部理解しなくてもいいか。ルールは二人で妥協して、理解できないところ、違うところを許容して、かけ合せて、二人の家を作ってもいいか。というかきっともう、そうなっているのだ。高尾の気付かぬところで二人はすでに溶け合っている。

 緑間が不機嫌そうにカレーを掬う。スプーンの上には花形のニンジンが乗っており、それに気付いた緑の瞳がきらきらと輝くのを見て高尾は笑った。