同じこころで


高校卒業間近、なわけではないが3年の10月半ば、WCを控えた部室で緑間は高尾に告げられた。
「……緑間」
「どうした?」
「俺、絶対受かるから。それで、受かったら」
いつになく真剣な眼差しで、高尾が緑間を見る。何を言われるのか、と緑間は首を傾げた。
「あのな」
「ああ。なんだ」
「俺のおしるこ毎日飲んでよ」





結果、高尾は緑間の通う大学より二駅先の大学に進学した。緑間は医学部、高尾は教育学部に進学することになった。高尾の一般入試の合格発表の帰り、緑間の自室で同じ大学に行けなくなったと高尾は落ち込んだが、緑間はそんな彼の腕を掴んでリビングに向かい、母親に言った。
「春からは高尾と暮らします」
それに、母親だけでなく隣の高尾までもが固まって、はっと正気に戻った高尾が緑間を仰ぐ。
「はっ!?何言ってんだよ!」
「毎日しるこを飲めと言ったのはお前なのだよ」
「そっ、れは、本命に合格したらってことで」
「合格は合格だ。俺と一緒は嫌なのか?」
「ちが!う、けどよ…」
「…ルームシェア、でいいのよね?大丈夫?喧嘩とかしない?」
「心配ないのだよ」
「よかったわ!そうよね、高尾くんとならできそうね。ほら、真太郎って家事できないじゃない?食生活心配していたのよ。でも、高尾くんが一緒なら私も安心だわ。あ、でも真太郎。このこと、高尾くんのご両親にはお話したの?」
「いえ、まだ」
「なら早いこと話さなきゃね。もしかしたらあちらさんだってもう部屋の候補決めているかもしれないから。話に行くときは言ってね、私も一緒に行くから」
「はい」
「早い方がいいわよね…。高尾くん、明後日はご両親いらっしゃる?」
「えっ、あ、はい。います、確か」
「じゃあ明後日でいいかしら。急で申し訳ないけれど…」
「あ、いや、大丈夫だと思います、けど」
「よし。高尾、部屋に戻るぞ」
「う、うん…?」
緑間親子の怒涛の会話に押されて、高尾はうまく状況が呑み込めなかった。ルームシェア?挨拶?なにそれいつ決まったの今決まったのだよ?
緑間も自室に戻ってから、ようやく理解し終わった高尾が慌てる。
「真ちゃん真ちゃん俺お前のお父さんと顔合わせられないよ!?息子と!男が!ルームシェア!」
「もともとお前が言い出したことだろう。それに、父さんにはもう話してあるのだよ」
「なんだとこの野郎!はああ……確かに言いだしっぺは俺だけど、俺だって真ちゃんと暮らせたらいいなーとは思ってるけど…これは…これはだめだよ真ちゃん…」
「…何故だ」
むっと眉根を寄せた緑間が腕を組む。ドア前にしゃがみ込んだ高尾は、頭を抱えてうんうん唸っている。
「だってさー…はーもう何であんなこと言っちゃうんだよ…真ちゃんのばか。ほんとばか」
「答えになってないのだよ。お前は俺と一緒に暮らしたくないのか、暮らしたいのか、どちらなんだ」
「そんなもん決まってんだろ!お前と暮らしたいわ!」
「ならいいだろう。最近はそういうものも多いからな。それに、俺はお前といたい」
「…もう、お前ばかだろ…どうすんだよ、俺もうお前好きすぎてつらいわ…」
真っ赤になる顔を隠して、高尾はなお蹲る。緑間はふ、と笑って正面にしゃがみ込んだ。顔を覆っている腕を離させて、額に口づける。
「高尾、俺に毎日おしるこを飲ませるのだよ」
「…あーもう…仰せのままに、エース様!」





そうして始まったルームシェアという同棲は、もう3年になる。
あれから、緑間と高尾の両親が話し合ったが、どちらもお互いに気に入られていたためにすんなりとルールシェアの許可が下りた。家賃や光熱費は割り勘、一ヶ月に一回は連絡を入れる、などなど決まりごとはできたが、二人暮らしをすることについて、どちらも反対はあまりなかった。
ただ、「純粋なルームシェア」ではなく、「同棲」するための手段、のように思えてしまうこともあった。それが心苦しくて、ついに緑間との関係を打ち明けたのが、一年経って帰省した春休み。殴られたり喧嘩したりと一悶着あってまた同棲を続けているのだから、緑間に言わせれば「人事を尽くした結果」だろう。
そうして、そう、3年。いつからか冷蔵庫に缶ではなく手製のおしるこが常備されたり、突然のキムチ鍋にしかめ面しなくなったり、別々だった寝室が一つになったり。今まで別々でそれぞれだったものがお揃いになってお互いのものに変わってく。じわじわ緑間に浸食されて高尾が浸食して、それを繰り返してきた。


23時28分。時計を確認して今日はもう日付が変わるまでに帰ってこないかもと思いながら、緑間の分の夕食を冷蔵庫に入れて、携帯を確認して新着がないのを見てから風呂に入る。
高尾が風呂から上がって髪を拭きながらリビングを通ると、緑間が帰ってきていた。座椅子に座って眉間を指で揉んでいる。
「お、真ちゃんお帰りー。遅かったな」
「ああ…ひと段落ついたからな」
「そっか。あ、夕飯どうする?一応冷蔵庫に入れてあるけど。こんな時間に食べるのよくなかったら、明日朝食べるか?」
「そうだな…高尾、明日用事はあるか?」
「特にないけど。でも疲れてるだろ。休んでていいぜ」
緑間の分のお茶を入れながら、高尾が答える。今日は金曜日で、明日は土曜で休日だ。ここ最近教職課程であっちこっちだった高尾もひと段落ついていた。緑間の大学生活は高尾より多忙だが、明日は休みらしい。久々に休みが被ったことに高尾は内心喜んだが、ひどく疲れた様子で座椅子に座る緑間を、1日くらい休ませたかった。
緑間の向かいの座椅子に座りながら、緑間にお茶を差し出す。それを飲み干して、もうすぐ、と切り出した。
「ん?」
「もうすぐ、4回生だろう。お前は教職と卒論があるだろうし、俺はあと2年あるし、院に進むならさらに4年だ。忙しくなる前に、済ませておきたいことがあってな」
「あー、まあそうだろうな。てか、何だよ、済ませておきたいことって」
「…お前の卒業後、のことだが」
瞬間、ひく、と高尾の喉がひくついた。卒業後。このままうまくいけば高尾は就職、緑間はまだ2年、また今以上にすれ違いが始まるだろう。そもそも、卒業後も緑間は自分と暮らしたいと思っているのだろうか。高尾は思わず手の中のマグカップを握りしめた。
「…うん」
「その、親との約束は高尾の学生の間だけ、だっただろう?教育学部のお前の方が俺より早く卒業するからな。…それを、お前がもういやだと言うまで、伸ばしたい。というか、卒業後もお前と暮らしたい、…と、伝えに行くのだよ」
「……うん?真ちゃん、卒業後も俺と暮らしたいの?」
「お前は暮らしたくないのか?…というか、同じ会話を3年前もしたのだよ」
「あ、そうだっけ?いや、お前と暮らすのがいやなわけじゃないよ。むしろ緑間と離れたくない。ふらふらになって帰ってくるお前に、おかえりって言いたい。…でも、こうしてお前と暮らしてさ、俺、いやなとこいっぱい見せただろ。帰り遅いお前に変な不安持って当たってさ」
「…それなら俺だって見せているだろ。さすがにお前が出て行ったときは慌てたのだよ。頼むからああいうことはもうしないでくれ」
「お、う…。て、そうじゃなくて、そうしてさ、一緒に暮らしててわかったけど、俺やっぱお前のことすっげえ好きなんだよ。親にも言えるくらい。だから、もし、この先お前が誰かを見つけて一緒に居られなくなったら、って考えると俺は怖いんだよ。置いていかれるのが怖い。自分でもそういうの女々しいとは思うけどな」
緑間は何も言わずにマグカップをいじる。手の中のマグカップを見て、高尾は思った。色違いのお揃いのカップは、いつ買ったのか、確か去年の同棲記念日だ。小さな記念日もいつの間にか染み込んで日常になってしまっている。それから追い出されるのか置いて行かれるのか、どちらにせよ緑間が離れてしまうことを高尾は密かに恐れていた。このまま彼を留めていられるのか、否、彼の視野を狭めたいわけではないしむしろ外に目をむけるのはいいことだとも思う。でもそれで出会いがあったら自分は捨てられるんじゃないか、だってこいつは将来有望な医者の卵だ、でもそれはいやだじゃあお前は緑間を束縛したいのかいや違う、と考えて無限ループを繰り返すのだ。
言うだけ言って黙り込んだ高尾、何も言わずにマグカップをいじるだけの緑間。沈黙が数秒あって、緑間が口を開いた。
「言って、おくが」
「…ん」
「捨てられるとか、怖いとかそう考えているのはお前だけではないのだよ」
今度は高尾が黙る。もともと俯きがちだった顔を、立てた膝に埋めた。
「お前に出て行かれて、愛想をつかされたかと思った。お前が戻ってきてくれた時は本当に安心した。ここに帰ってきてお前がいることが嬉しい。だが、大学も専攻している学部も違う、同じ家に住みながら会う時間も減っていく。俺よりも確実に同じ大学の奴の方がお前といる時間が長いからな、すれ違うばかりなのが俺は不安で堪らない」
緑間は自分が素直でないし言葉が足りていないことも自覚している。うまく言葉にできなくても高尾が汲み取ってくれると、無意識に甘えている部分があることも自覚していた。そして、そのままではいけないことも。
「それで、お前に伝えたくても、心にもないことを言ってしまって、結局喧嘩になる。そんなことばかり続けていたら、いくら愛していても飽きられると思うと怖くてまた何も言えない。……だが、それでも俺は高尾が好きなのだよ」
「……何それ、初耳なんだけど」
「当たり前だ、言ったことがないのだよ」
言うこともないと思っていたがな、と呟いてマグカップを持って立ち上がる。流しにそれを置いて、戻ってきた。高尾は顔をあげていない。
「高尾」
未だに顔を膝に埋めたままの高尾の手から、マグカップを取ってテーブルに置く。肩に腕を回して抱きしめる。真ちゃん、と小さい声がした。
「今まで以上に、いやなとこ見せちまうよ」
「構わん。俺もそうだろうしな」
「俺、面倒くさいとこもあるよ。ちっせえことで嫉妬するし」
「それくらい、受け止めてやるのだよ。むしろそれは俺の方だと思うが」
「真ちゃんはいいんだよ、俺、真ちゃんに嫉妬されんの嬉しいし。真ちゃん好きだし」
「俺もお前が好きなのだよ。だから、明日、一緒に行ってくれるか?」
「……しょうがねえなあ…」
埋めていた顔を上げてふにゃりと笑う。
どれだけ目の前の恋人を愛しいと囁き合っても、同性であるが故の異性の存在が怖い。だから、そのいつかが来るときを怯えながら今の幸せを享受する。
だが、それでいいのだ。自分だけが怖いわけじゃない、同じ不安を抱えて、それでも愛している。
猫が甘えるように肩口にすり寄る高尾の頭を撫でながら、緑間は緩く笑った。
「真ちゃん」
高尾の指が軽く緑間のシャツの胸元に置かれる。視線を向けた先の目は、弧を描いていた。
「何だ」
「シよ」
「…ばかめ」
「いーじゃん。久々だろ」
「明日に響く」
メガネのブリッジを押し上げて言う緑間に、高尾が声を上げて笑う。
「響くくらい激しくなるわけだ?」
「…高尾」
「大丈夫だって。な、…真ちゃん」
高尾がはむ、と緑間の首筋に噛みつく。ぴくりと肩を跳ねさせ、その頭を離れさせて真意を測るように覗き込めば、高尾の目は小さく不安を覗かせていた。
「お前は…」
「ね、真ちゃん」
先ほどの真面目さはどこへいったのか、とため息をついて高尾の額に口づける。徐々に降りてくる唇を受けながら、高尾はふふ、と笑った。布団とこ行こう、と紡いだ口を塞いで、ラグの上に押し倒す。
「ちょ、真ちゃんっ」
「うるさいのだよ、お前から誘ったのだろう?」
「そうだけど、ん、布団行こうよー」
「…悪いな、高尾。余裕がない」
「へ、ちょ、んんっ」
来ていた寝間着代わりのジャージを捲られて、寒さに震える腹を撫で上げる。ん、と鼻から息を漏らす高尾の反応に、緑間はゆっくりと目を閉じた。
緑間だって、高尾が覗かせた不安は分かる。初めてお互い胸の内を明かしたのだ。怖さや不安を感じているのが自分ひとりではないと分かったなら、今度は欲しいと思うまま触れ合いたい。数か月振りなのも合わさって、ほどなくして嬌声が響く。
離れたくないとばかりにきつく両手を握りあう。溶けてしまいたいと息を重ねた。






「お前たち二人がそうしたいなら、私は何も言わない。だが、そのうち気持ちだけではどうしようもなくなくこともあるだろう。…それでも、いいのか?」
「うん」
「真太郎もか?お前は医者になるんだろう。今以上に忙しいぞ」
「はい」
「そうか…」
真剣な面持ちで頷いた息子を前に、高尾と緑間の父親は黙り込む。二人が緊張で体を硬くしていると、母親たちが横から話を続けた。
「まあ、緑間くんならいいんじゃないかしら」
「そうね。私も高尾くんなら安心だわ。いっそ息子でもいいわよ」
「母さん!?」
緑間の母親の発言で四人が固まるのをみて、母親たちはふふ、と笑う。緑間と高尾はぽかんと呆けていた。
「和成」
「あ、え、なに」
「最初に緑間くんとお付き合いしてるって聞いたとき、お父さんすごい剣幕だったでしょう?滅多に殴ったりしないものね」
「……」
「でもね、あなたがこの三年間、緑間くんと暮らしているのを見て、彼なら、って思ったのよ」
「そうそう。あなたたちが告白しにきたあと、真太郎が私たちに孫の顔を見せてやれない、親孝行できなくてごめん、て泣きそうな顔で言ってきてね、ああこの子はもう大人なんだなあって。あなたが選んだのが高尾くんなら、私は何も言わないわ」
「母さん……」
だからね、と二人の母親は顔を見合わせる。にっこりとほほ笑んで、答えを出した。
「あなたたちが一緒にいたいと思う限り、一緒にいればいいわ」
「……まあ、なんだ。そういうことだから、たまには顔を出しなさい。緑間くんも一緒に」
「だからといって勉学を疎かにするなよ、真太郎」
思わぬ言葉に、何も言えずに二人は黙る。静かに涙を流す緑間とは逆に、高尾は泣くまいと我慢して堪えきれずひぐ、と喉をひくつかせて泣いていた。
ついに俯いて涙を拭う高尾の左手に、緑間は自分の右手を重ねる。
「…さて、二人とも今日すぐ帰らないでしょう?今日はお鍋だから、高尾くんのご両親も、ぜひ」
「あら、じゃあお言葉に甘えて」
「ちょっとお母さん私も!」
すぱん!と襖を開けて、高尾の妹が出てくる。まさか聞かれていたとは知らなかった二人は、突然の妹の登場に涙が引っ込んだ。
「なんで、お前がいるんだよ…」
「私だけのけ者は許さないからね、お兄ちゃん」
唖然とする二人の間に入り、腕を組んで立たせる。困惑顔の高尾に向かって、よかったね、とにっこり笑う。
ああ、恵まれているな、じんわり暖かさを感じて、また泣いた。





「…でね、この間遊びに行ったら、お兄ちゃんたち、すき焼きは卵入れるか入れないかで喧嘩してたんだよ!もうね、どっちでもいいのにね。それに、お肉ばっか食べるお兄ちゃんに野菜も食えって緑間さんが野菜入れて、うっせーって言いながらお兄ちゃんも緑間さんに入れられた野菜全部食べてるし。もう私帰りたくなっちゃった!お兄ちゃんの口にね、跳ねたスープがついてたの。それ、緑間さんがついてるぞって拭ったんだよ!私がいるのに!お兄ちゃんも普通にしてるし…もう、ほんと帰りたくなったんだから!何年だっけ…十二年?あの二人は別れないよ、あの調子じゃあね!」
そう言って、彼女は微笑んだ。