捨てられるはずだった恋の遺書を


親愛なる真ちゃんへ

改まるのは何だか恥ずかしいけど、ちょっと聞いてくれるかな?
まぁ、聞いてくれたら嬉しい。
それとちょっと長くなる予定だから温かい飲み物でも側に置いてよ。
あ、でも、おしるこは駄目だぜ?今日の分は既に飲んでるっしょ?俺は将来、真ちゃんが糖尿病とかメタボにならないか心配です。今は若いし身体も動かしているから良いけど、いずれ年齢には勝てなくなる時がくるから油断はしないで人事を尽くして?
仮に中年太りしてお腹が出ても、はたまたぽっちゃり系になっちゃっても俺は真ちゃんが真ちゃんである限り真ちゃんを愛するけどね。………なーんてな!
けど、身長の高い人の介助や介護は大変だと聞くので余り太らないでよ?これは俺からのお願い。将来的に介護する人の身にもなってあげてね。
そうそう、食器棚の左下の開きに貰ったばっかりの紅茶缶と真ちゃんママから頂いた緑茶があるからどっちか好きな方を飲んでいいよ。
だけど、カフェインの摂取過多は寝れなくなるから注意するのだよ?
それと防寒も忘れずに。
最近寒くなってきたしね。冷えは足先から来るから靴下を履くこと!
真ちゃんはたまに抜けてるから俺は心配だよ。

まぁ、前置きはこのくらいにしてですね。
あのね、真ちゃん。


真ちゃん


緑間


緑間真太郎さん


今更ですが、俺はあなたに隠していることがあります。
もしかしたら聡いあなたなら気付いているかもしれません。
こちらとしては気付いてくれてない方が望ましいのですが……。
けれど、今回、この手紙をしたためたのは遅かれ早かれどちらにしろこのことを伝えなくては、と思ったからです。
なので、今からあなたに伝えます。


緑間真太郎さん

俺はあなたと一生を添い遂げる気はこれっぽっちもありません


すぐかもしれない、ずっと先かもしれない、もっと先かもしれない。
明日より先なんてわからないので何とも言えません。
けれど、もう一度言います。
俺はいずれあなたの元を去ります。
それは断言しましょう。


けれど、勘違いしないでください。
俺にはあなた以上に大切で愛しい人が出来ることも、また、あなた以上に恋焦がれる人も今も昔もこれからもこの先も現れることはありません。
これも断言できます。
恋したのも愛したのも俺の短い生涯の中と言えど、あなたただ一人だけです。
軽薄だなんだと俺のことを評してくれたあなただけれど、俺はあなたが思っているよりもあなたのことを一途に想っているのだから。
なんと言ってもさそり座は情念深く一途な星なのです。
だから、
…………見くびるなよ?
例え、もしあなたとお別れをしても俺は誰とも付き合うことはないでしょう。
そもそも、好きになったのがたまたま男の真ちゃんだったと言うだけで、俺の恋愛対象は女。真ちゃん以外の男になど全くもって興味がないのです。
でもね、今更女と付き合って愛を注いでやることは俺には無理です。絶対無理。
例えば、そう、真ちゃんがホットケーキを焼いたとするでしょ?(えっ?真ちゃん、ホットケーキぐらいもう焼ける様になったでしょ?……俺ってば真ちゃんを甘やかし過ぎた?)
まんまるいまんまるいふかふかで少し厚いホットケーキを想像してみて?
確か真ちゃんはホットケーキに蜂蜜をかけてた記憶があるから、とりあえず蜂蜜をかけることにするね。
それでお腹がすいた真ちゃんはホットケーキを食べようと思い、白い小さなピッチャーに入っている蜂蜜を傾けてホットケーキの上にとろとろ垂らします。
すると甘い匂いがふわりと香り、蜂蜜はしゅわしゅわと生地に浸み込んでいく。
そして、上の生地から滑り落ちる様に零れる蜂蜜はお皿の下に垂れ落ちてじわりじわりと生地にひたす心地で。それではナイフとフォークで召し上がれ!ってね。
えっとね、何が言いたいのかと言うと、そのホットケーキを俺だと仮定するでしょ?それでその蜂蜜は真ちゃんから注がれる愛情、です。
ホットケーキな俺は真ちゃんから蜂蜜のように愛を注がれ、蜂蜜のようにとろとろに甘やかされて、その心地よい愛情にひたされているのです。
そのことに気付いたのは付き合ってから暫く経ってからのことでした。
そうすると、もう駄目で。愛されるってことを心でも身体でも知ってしまったから。
俺の心と体はいつでも「真ちゃん、召し上がれ!」って作り変えられちゃった。
蜂蜜をかけてぐずぐずになったホットケーキがふかふかな生地に戻らないのと同じ、なのだよ?
なんだか女の子って無条件でこの幸福を与えられるんだね、って思ったら、ちょっとずるいなとか思っちゃった訳で。
だから、仮に新しい恋人が出来たとしても絶対物足りないって思っちゃうし、第一、真ちゃん以上に一緒にいて幸せだと思わせてくれる人はいないなぁ、と思います。
あ、真面目な口調だったのに喋り口調になっちゃったじゃんか。
…………まぁ、いっか。
何が言いたかったかと言うと、俺は真ちゃんからの愛を疑ったこともないし真ちゃん以外を愛する気はさらさらない、ってことかな。


ところで、この手紙を読んでくれていると言うことは俺の姿はあなたの前から立ち去った後でしょうか?
もしそうなら、あなたのその綺麗な顔を、瞬きをするたびに音がなりそうなあの眼鏡に触れるほどの長い睫毛を下から見上げる様に身近で眺めることが出来なくなるのはとても残念です。
俺はあなたの美しい顔も好きでした。
特に秋の夕焼けに映える緑の髪と陶器のような肌をオレンジ色に染め上げている横顔なんて息を飲むほど美しくて、今でも俺の宝物です。
あれから何回も何回も見ているのに今でも見慣れることはありません。
………そうだ、覚えていますか?
あなたと出会った日のことを。
あなたと初めて試合をした中学時代ではなく、初めて秀徳で出会った日のことです。(あ、真ちゃん、試合の時のことは覚えてなかったもんね?)
俺は気軽にあなたに声をかけてあなたのラッキーアイテムを笑い飛ばしたと思いますが(確かあの日のラッキーアイテムってセロハンテープだっけ?)、あなたの表情からして第一印象は最悪だったと思います。
まぁ、当時の俺はそんなこと全く気にしていませんでしたけど。
だって、あなたに俺のことを印象付けるために行ったことですから、良いも悪いも特に気にしてなかったですし。
あなたがすごく負けず嫌いなのは知っていますが、俺もあなたに負けず劣らずの負けず嫌いだったのです。
同じチームならば負かすことは出来ないけれど、あなたに負けないためにはあのオレンジ色のユニフォームを取り、必ずや同じコートに立ってやろう、と考えた結果でした。
この時はまだ、これは高校の時にも言ったと思いますが、あなたに対しての反感からの気持ちだったのです。
中学時代に手酷く負かされて以来、打倒・緑間を志して他の推薦を蹴ってまで一般で秀徳に入学を決めたにも関わらず、その負かそうと心に決めた相手が同じ高校に進学していたなんてとんだ笑い話でしょうがね。
けどね、だけれど。
俺はあなたの人事を尽くす姿を見てしまったから。
あの3Pが描くキセキが、奇跡が、軌跡が、俺の奥の奥まで鮮烈に色付けてしまったから。
俺はあなたと言う人物の深淵にまで迫ってみたいと思いました。
この人のことを俺の勝手なものさしで測っているのではないか?と自分の底浅さが恥ずかしくなったのです。
あなたを目で追う内に偏屈だけれど良くも悪くも正直で、けれど、本心とは裏腹なことを口にしてしまうことがあると分かり、「なんだ、可愛いじゃないか!」と大きな図体の割に子どもじみた部分があるあなたに対して俺は手のかかる弟を持った気持ちになりました。
自分でも調子がいいとは思いますが、気付いた時にはあなたに対して抱いていた反感はどこそれに飛んでいったまま帰ってきませんでした。
毎日一緒にいることで緑間はおしるこが好きだとか読書家だとか実は1限目は少し眠そうにしているだとか実は女の子たちから密かに好かれているだとか他にもいっぱい見つけたことがあります。
そして、俺は新たな一面を発見する度に緑間のことを知れた気がして、とても楽しく嬉しかったのです。
――――――しかし。
それも良いことばかりではありませんでした。
一番気付いたことは皮肉にも、俺があなたに対して抱かなくなった反感や敵意を他の連中から多く向けられていると言うことでした。
自分のことを棚に上げて、と思いますが、でも、俺は気になってしまったのです。
正直、他校と試合をしても「緑間がいるから勝てない」「ずるい」など諦められているのは今更、帝光時代から慣れっこだったと思います。
いや、今更、なんて言ってはいけないのは百も承知です。
ただ、淡々とゴールに向かってバスケットボールを投げている背中はつまらないと物語っていました。
俺にはそれがもの悲しく、胸が押し潰されそうになりました。
いつか言っていた「楽しい楽しくないでバスケをしている訳ではない」と言うあなたの言葉の意味がこういうことなのか、と今では分かります。
いつの間にか義務的に、ただ敵もいないゴールにボールを放るシュート練習と同じような、そんな試合とも言えないバスケを続けていたのでしょう。そんなのバスケに嫌気が差してしまうのも当然です。
そもそも、バスケは一人で行う競技ではないのだから。
ゲームメイクをする司令塔のPGであるからこそ、俺は誰よりもバスケットボールと言う競技について、五人で行う競技と言うことを理解していました。
でも、あなたは28m×15mの世界で一人。
ずっと一人ぼっちでバスケをしていた。
けれど、裏を返せば一人でもバスケをしていた、と言うこと。
緑間が秀徳に来たことは紛れもなくバスケを止めるという選択をしなかった、と言うこと。
つまり、口にはしなくても本当はバスケが好きで、本当は誰よりも強くありたかったってことでしょ?って、おそらく当時、一人でも勝てると自分自身の力を信じて止まなかったあなたでは自分の気持ちになど当然気付いてなかったでしょうがね。
しかし、そんなあなたへと向けられる敵意は何も他校と言う外部の物だけではなく、内部であるはずの部内も同じでした。
そりゃあ、あなたがキセキの世代で入学と同時にレギュラー入りを約束されていることだけでも反感を買う筈なのに我儘言いたい放題やりたい放題、そんな生意気なルーキーは反感を持たれて当然なのかもしれない。
でも、敵意を向けられることに慣れている様に見えたあなたでも内側からの敵意に対しては本当は大なり小なり傷付き、心を擦り減らしていることに俺は気付いてしまいました。
どれだけあなたがどれだけすごくても身長が高くても、俺と同じ一年生だったのだから。
きっと先に天才と凡人と言う境界線を引いていたのは俺たちの方だったのかもしれない。
確かに俺も1年でレギュラーに選ばれてからはやっかまれたことは少なからずあったけれど、初めから「緑間がいるからSGになるのは無理」「レギュラーなんかになれるはずがない」とさんざっぱら諦められて妬まれて、俺なんかの比ではありませんでした。
あなたは人事を尽くす前から何を言っているのだ、と言いたそうにして唇を噛み締めていたのをあなたの肩程度の位置から見上げたことは忘れはしません。
俺は人の陰口を叩く暇があるのならばパス練でもシュート練でもやれっつーの、と何回心の中で溜息を吐いたでしょうか?
俺たちがレギュラーの座を得たのは決して幸運などではなく、努力とそれに伴った実力が認められたからなのだ、と。
これだけは他人にとやかく言われたくない、それが俺の、俺たちのプライド。
そう、俺は。
初めは反感を持っていたあなたの、あの背中を真正面から捉えた瞬間から、俺は、緑間真太郎の相棒になりたい、と思ったのです。
そして、IH予選が始まるころ頃には勿論秀徳の正PGとしてもだけれど、あなたへパスを繋ぐ相棒としてのPG、と認めさせてやりたくて堪りませんでした。
俺はあなたがいれば敗北など喫するはずがないと疑いもしなかった。
けれど、高1の初夏。
忘れもしない、IH予選決勝。
火神と黒子を擁する誠凛に敗北を喫し、秀徳高校はIH出場を逃した。
コートを去った後、あなたは初めての敗北に空を仰ぎながら降りしきる雨に打たれ、呆然と立ち尽くしていました。
あなたのその背中が悔しさと戸惑いを滲ませていたことは今でも鮮明に覚えています。
それと同時に、あなたには申し訳ない話なのですが、その切り取られた緑の空間に、その背中に愛しさを覚えました。もしかしたら俺の恋の芽生えだったのかもしれません。
けれど、俺にとってもこの試合はまだまだ自分自身人事を尽くしていない、とまざまざ自覚させられた試合だったのです。
何が秀徳のPG、だ。
何が相棒として認めさせる、だ。
何が黒子に勝つ、だ。
思い出せば思い出すほど課題がありすぎて、情けなくて悔しくて、そして、先輩たちに対して初めて顔向けが出来ないと恥ずかしくなりました。
………まぁ、今思えばこの敗北は無駄ではなく、敗北無くして人は成長出来ないと言うことが身を持って学べましたよ、はい。
そして、俺は徐々に変化を見せる真ちゃんを目の当たりにして、夏の合宿が終わる頃にはすっかり真ちゃんに恋をしていました。
俺はどこぞの乙女か、と自分自身にツッコミを入れたくなるほど、真ちゃんの周りだけがきらきら眩しくて鷹の目がどうにかなってしまったのか?ってちょっと病院に行くことを考えた程度には重症でした。
これは余談ですが、一度、夏のある日にあなたがその美しい緑色の髪を頬に張り付け、こめかみに汗を伝わせて、乱暴に腕で拭っていた姿には素で見惚れてしまいまして、おかげ様で水分補給をするのも忘れた俺は暑い体育館の中で脱水症状を起こして倒れました、真ちゃんの馬鹿。
けれど、その実、俺はこの報われるはずもない恋心を認めたくなくて、ずっと葛藤していました。捨てた方が楽になれるのは知っていた、けれど、捨てられなかったから。
それからリベンジを誓ったWC予選で再び誠凛とあいまみえた時、引き分けという結果は悔しいけれど、あの時の真ちゃんからのパスが俺たちをチームにしてくれた。
しかし、それと同時に漸く決着がつきました。
俺はこの恋心を捨てることに決めたのです。
それが、俺の出した答えだった。
そして、高1の冬、WCの少し前、あなたと俺が初めて本当の『相棒』になれた日。
この技をしたい、と言ってくれた時が初めて俺はあなたに相棒として認めてもらえたと思っています。
けれど、真ちゃんからこの話を持ちかけられた時、何よりもまず拒絶をしました。
例え、いくらそれなりのパス回しが出来たとしても、シュートモーションに入ったあなたの掌にパスを入れることなど糸を針穴に通す以上のコントロールを必要とする至難の業です。
そんなことは出来ない、と真ちゃん風に言えば人事を尽くす前に弱音を吐くことは確かに負けず嫌いの俺のプライドに反します。
けれど、最初から上手くいくはずがないためその練習中にもし手元が狂ってパスミスでもしてしまったら俺は真ちゃんの魔法のようなシュートを生み出すその指を台無しにしてしまうのではないか、と頭に過ぎったからです。
正直それが一番怖かった。
もし真ちゃんの指が突き指だけではなく折れてしまいでもしたら、冗談ではなく俺は死のうと思いました。
潔く舌を噛み切ってしまうかもしれない。
ふはっ、WC前に死んでどうする!と当時のあなたが聞いたなら怒りそうですが、俺はそれくらい重要なことだったのです。
けれど、真ちゃんは俺が出来ると信じてくれた。
「お前に預ける」と言って指を差し出されてしまったら、断ることなど出来るはずもなかったのです。
正直言いましょう。
この時の俺は100%綺麗な気持ちで打算無しで取り組んだかと言えば、嘘になります。
俺はあなたの魔法のような手が、神様のような指先が、何よりも大好きで大切だったその指を俺の物に出来る、と思った瞬間、今まで感じたこともない位背筋にぞわぞわと快感が走ったのです。自分の中の独占欲と執着心が初めて俺の目の前に姿を現したのです。
俺はこの時、初めて、真ちゃんに対して抱いていたのはキラキラした恋心だけではなく、汚くてどろどろした醜い感情も思い抱いていた、と皮肉にも暴かれてしまったのです。
正直自分で言うのもなんですが、俗に言うヤンデレの気があるのではないか?と思ってしまいましたね。
それでも俺は迷わずあなたの相棒でいることを選択しました。
捨て去ったはずの恋心や醜い感情が俺の前に顔を表しても、俺は相棒が差し出した決意を無駄にすることなど到底出来るはずありませんでした。
そして、何よりも俺なら出来ると信じて託してくれた真ちゃんの期待に答えたいと思ったからこそ、了承してこのシュートを実現させるために練習に励みました。
紆余曲折、色々あったけれど、初めて練習で成功させた時、感極まった俺はあなたの胸に飛び込んでしまいました。
あなたは珍しく目を見開いて驚いていましたが、その太い腕を俺の背中に回してくれてがっしりと抱きとめてくれましたね。俺はそれが嬉しくて少し調子に乗ってあなたの首に腕を伸ばしましたが、次第に安堵からかぽろぽろ涙を溢してしまい、落ち着くまでぽんぽん背中を擦ってもらいました。
今でこそあなたと多くのぬくもりを分かち合ってきましたが、このことだけは俺の中で今でも特別な出来事です。
その“とっておき”であった3PをWC準決勝、対洛山戦で初めて披露した瞬間、あの時、あのシュートが本当の意味で完成したと言えました。
俺のパスを信じてくれた真ちゃんの約20秒が愛おしくて試合中にも関わらず、涙腺が緩みそうになりました。
しかし、その努力も空しく、天帝の目を持ち、全てを見透かす赤司には通用せず、結果は準決勝敗退。
翌日、決勝の前に行われた3位決定戦でエース・黄瀬涼太を欠いた海常に勝利を収め、俺たちの一年目のWCは幕を閉じた。
そして、大坪サンと宮地サンと木村サンの3年のレギュラーと一緒にするバスケが終わったのです。
人前で涙なんか流したくない人一倍強がりだったはずの俺の涙腺は馬鹿みたいに緩んでしまい、涙は止まることを知りませんでした。
あの時の俺の顔はとても不細工だったことでしょう。笑ってもよかったんだよ?………なーんてな。
ごめん。あの時、真ちゃんのこと慰められなくて。
でも、それだけ悔しかったんだ。IH予選敗退なんかより数段悔しかったのです。
今でこそ赤司を征ちゃんと呼んで仲良くしているけど、ボールを止められたことがトラウマになって暫くはパスを出すことが怖くなってしまったこともありました。
でもね、何よりも俺は真ちゃんが好きだと言う気持ちが更に強くなって、捨て去ったはずの恋心が戻ってきちゃったんだよ。
本当に本当に真ちゃんを心の底から好きだって、気持ちが泉のように湧き出して。
まだ他の部員がいるロッカールームでさえ好きだよって言葉が喉元までせり上がってきて、この気持ちを押さえ込もうと必死になりました。 でも、まさか、洛山との試合の翌日、WCが終わった日、その帰り道に誰が真ちゃんから告白される、など思い至りましょうか?
忘れるはずがない、決して忘れることが出来る訳がない出来事。
俺たちがまた新たに二人で歩み出した日でした。
でも、あなたの腕の中で俺が泣き喚いて縋ったことは恥ずかしいので忘れてください。
想いを告げる気なんてなかったから真ちゃんと恋人になれるなんて思いもしませんでした。
今でも夢心地で朝起きたらまず横に真ちゃんが眠っているか確認してしまうくらいです。
正直に言うと、俺はあなたの告白を聞くまで一生真ちゃんの相棒として親友として隣に並んで笑ってるつもりでしたから。
もし真ちゃんに彼女が出来たら、俺はじくじく痛む心を隠しながら嫌がる頬を突いて惚気を引き出してやって。それから俺は真ちゃんの結婚式で親友としてスピーチをする。一番に真ちゃんの新居にお邪魔して、友人として一番に真ちゃんの子どもを抱っこして、真ちゃんに似た美人な子どもに「将来は和成くんのお嫁さんになる!」って言われて真ちゃんに頭をグーで殴られて。それからそれから………。
例え心は痛んでも俺は真ちゃんの隣にいるだけで幸せだと、否、そう思い込もうと必死でした。
だからこそ、真ちゃんの恋人でいられる権利を貰った時、俺はその幸せに死んでも良いとさえ思いました。
けれど、人間とは不思議なものです。
俺はそれと同時に幸せすぎて怖くなったのです。
この幸せは俺に与えられてよいのか、と。
真ちゃんからの惜しみない愛情を受けられるのは本来俺みたいな男ではなく、あなたに釣り合うような可愛らしい女性であるべきだ、と。
だから、俺みたいな変な奴に捕まってしまった可哀想な真ちゃんをいつか解放しなければならない、って思ったのです。
うん、これが今なのかな?


あのね、さっき真ちゃん以外じゃ物足りないよって話をしたけれど、恋愛において物足りないって思うことは極端なことを言えば相手に対してドキドキする回数が少ないってことだと思いませんか?
俺は愛したいと思った相手に全力で尽くして全力で相手に答えたい。
あ、これ信条ね?
それを望めなければお付き合いしていても、結婚をしたとしても遅かれ早かれ駄目になってしまうと思うのです。
俺はね、好きな人を愛することだけで駄目になりたいよ。
……………うん、ごめん。嘘吐いた。
いや、嘘でもないけど、さっき解放しなきゃ、って言ったけど、いつかあなたが子どもも産めない非生産性に大手を振って結婚はおろか関係すらも公表出来ない明るい未来もないこの関係に気付いて別れの言葉を告げられることを俺は恐れていたのです。
臆病者の俺は自分が傷付く前に逃げ出したかったのです。
でも、ね。でも。
お別れの話を書いておきながら何を言っているのだよ、こいつは………と思うかもしれないけど、俺はあなたへの気持ちを『愛していた』で完結させたくないのです。
これがあなたに対して嘘を重ね続けた、俺の最後で最大の真実だから。
だから、聞いてくれますか?


緑間真太郎さん

別れてください


あなたは俺を身勝手だと怒るでしょう。
そう、俺の身勝手なのです。
駄目なのは、駄目になるのは俺だけで十分なのです。
ごめんなさい、真ちゃん。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あぁ、もう………なんて言ったらいいか分かんないや……。
……………ありがとうって言って、いっぱいちゅうしたいな、って思ったけど、もう無理だったね。
ごめん。
それから、ありがとう。
俺だけの真ちゃんでいてくれて、本当にありがとう。

愛しの真ちゃん
俺はあなたを愛しています




追伸
バスケの話ばかり引き合いに出しましたが、俺たちはバスケによって引き合わされてバスケによって恋の枠組みを作られたのだから許してくださいね。
けれど、俺はバスケ以外でもあなたから沢山の想い出を貰いました。
真ちゃん、この恋を一緒に育んでくれてありがとう。







罫線に沿って配列されている文字を視界に収めた。
その手紙は癖のある少し丸みを帯びた特徴のある字で綴られ、手紙の主を見紛うはずがない。
それを読み終えた緑間は手にしていたレポート用紙を握りしめると音を立てながらその掌に収まり、少し反芻した後、左右の端からぐしゃぐしゃに折り込まれていた紙を再び伸ばすために広げた。
一体この手紙は何を言っているのだ、それこそが緑間の本音であった。
別れを告げる手紙にも関わらず、書き連ねられている文字は強烈なほどの熱量を持って彼の心に沁み込む。
けれど、この手紙の思いの丈をどう掬い取れば良いものか皆目見当つかず、扱いに大層困惑してしまった、と同時に、腹の底からふつふつとマグマのようにどろどろとした熱い想いも煮つめられていた。
そもそも緑間がこの手紙を見つけ出したきっかけは引っ越しをすることにあった。
大学生の頃から暮らしていた2LDKの間取りの少し古め、けれど、彼らにとって沢山の想い出が詰まった賃貸マンションは相も変わらず緑間が執心しているおは朝占いのラッキーアイテムによって手狭な空間になっており、漸く安定した収入を得ることが出来る様になった今、分譲マンションを購入することを決断した。
本来、順風満帆な二人は別れるなどとは無縁なはずだ。
けれど、幸か不幸か彼に頼まれて洋服を整理する折、この手紙が緑間の目に触れることになったのである。
彼が一目惚れをした、と言う木目調の洋服箪笥の引き出しの底から見つけたのは長形3号の茶封筒。表を見ても裏を見ても宛名は書かれていない。厚みからして中身はへそくりではない、確実に数枚の紙が詰められている。
はて、一体これはなんなのだろう?何故宛名が書かれていない?必要な書類なのか?と緑間は申し訳程度に糊付けされていない封筒を傾けた。
その中身から出てきたのは三つ折りにされたレポート用紙。
事後確認でいいか、と安易に広げた紙に書かれていたことは衝撃的な内容が詰まっていたことなど言うまでもない。



「おい、この手紙は一体いつ書いた?」

突きつけられた手紙を視野に留めると、ほんのわずか、間の抜けた顔を曝したが、手紙の主は身に覚えがあるためか次第にその柳眉を眉間に寄せ、苦虫を噛み締めたような表情を見せた。
彼は主に緑とオレンジを基調にした食器を梱包していた手を止め、はぁ、と溜息を溢す。
緑間は男の答えを待つべく、彼が口を開くまで沈黙を守った。

「………………大学一年。」

えも言わせぬ無言の圧力に耐え切れず、しぶしぶ紡いだ彼の言葉を耳にした緑間は唖然とした。
ちょっと待て、と。
付き合い始めてすぐとは言わないが、それは―――

「10年も前ではないか?」

驚くのも当然無理はない。
すでに緑間と彼は共に暮らし始めてから10年もの歳月を重ねていたからだ。
高校の頃から付き合っていた二人が大学進学と同時に少しでも二人の時間を作れるように、とルームシェアと言う名目上の同棲を始めたのは中々久しい記憶になっている。
そして、大学を卒業して社会人になった現在でも二人は寄り添っていた。
手紙に書かれていたようにあの頃あった紅茶缶など今ではすっかり小物入れになっているし、緑間の母からは未だ定期的に美味しい緑茶が送られてくる。
変わるものもあれば、変わらないものもある。 変化が悪で変わらないことは美、また逆もしかり、と言う訳ではないけれど、二人の間の些細なことを発見するのは面白く、緑間は密かに楽しみにしていた。
しかし、この手紙の発見がもたらした事象は緑間にとって実に由々しき問題であった。

「高尾、……高尾和成。」

緑間は改めて、彼の名を口にした。
十数年、何度も繰り返し紡いできた特別な名前。
共に暮らして決して楽しいことばかりではなかった。
高校の頃よりもお互いの距離が縮まっていると言えど、同棲するとなれば彼らも大なり小なり衝突しあった。また、別れる、と彼らの事情を知っている周囲の知人友人を巻き込んでの大騒動が引き起こされたのは一度や二度のことではない。
そもそも、この二人は性格も正反対ならば好みも違い、緑間はおしるこ好きの甘党で高尾はキムチ好きの辛党では根本的に味覚からして合わないのだ。
たまご焼きだって緑間は砂糖たっぷりの甘いたまご派であるし、高尾はしっかりダシのきいたたまご派である。目玉焼きも醤油派の緑間とケチャップ派の高尾。
味覚の相違と言うものは一般的に離婚の原因にも成り得るような重要な問題で、同棲している緑間たちも当然食事に関してはお互いが美味しいと思う味を見つけるまで大変苦労したものだ。
勿論、食べ物だけではなく、食べ方からチャンネル争い、はたまた洗濯物の畳み方、言ってしまえばセックスについてだって二人は何度も喧嘩を繰り返してきた。
 けれども、一度たりとも仲直りが出来なかったことはない。
本気で別れようと思っても、朝、キッチンに立っている高尾の背中を目の当たりにすると緑間の口からは「おはよう」という言葉がすらりと出てきてしまう。
そして、振り返った高尾は八の字眉にしながら幸せそうにはにかみながら「おはよう」と返すのだ。
少なくとも緑間にとって高尾のいない朝は考えられないものであった。
だがしかし、この手紙は何を言っているのか? 緑間の脳内は認めようとしない。認めてはいけない、と本能的に大脳から彼へ指示を下していた。

「今でもこんなことを考えているのか?」

手紙が見つかったことにより高尾はバツが悪そうに一瞬僅かに右上に視線を泳がせ、へらっと笑う。
それは本心を隠そうと、嘘を吐こうとする人間の仕草の一種で、緑間は彼のその動きを見逃すはずがなかった。
今まで緑間のことを良く理解して支えていたのは紛れもない高尾であるが、高校から数えて十数年も寄り添っていれば緑間とて高尾を理解しない訳がない。高尾の微妙な笑顔の違いも好みも癖も大抵は判断でき、理解していたつもりだった。

「バーカ、そんな引っ越してすぐ逃げるわけねーだろ?つか、家の金は折半してんじゃん。」

「………だが、家の名義は俺になっている。」

そういえば、と思い出したのは新居を購入する際、頑なに家の名義を緑間の名前にしようとしていたことを思い出し、こいつの『そういうところ』に何故気付けなかったのか、と緑間は自分自身にも苛立ちが募るばかり。
そして、緑間は彼の顔を見ようとすると、普段はくるくる表情を変える顔には何も映されておらず、なまじ整っているだけに余計能面のような印象を受けた。高尾はそのまま口の端を少しだけ吊りあげるだけの軽薄な笑みを浮かべる。

「真ちゃん、勘が良いのは好ましくないなぁ?」

「俺は誤魔化されるのが嫌いなのだよ。」




本当に別れようと思ったのは26の春だ。
医術の道を志した真ちゃんがやっと2年もの研修期間を終えて独り立ち出来る様になった時、俺はもう大丈夫だろうと真ちゃんから離れる決意をした。
けれど、真ちゃんが余りにもへろへろくたくたになって帰ってくるから、「俺が面倒見てあげなきゃ」って思って結局離れることは出来なかった。
勿論、俺だって自分の仕事があるにも関わらず、だぜ?
まぁ、真ちゃんよりも2年早く社会に出てるし、少なくとも真ちゃんよりは働くことに慣れていたから、時間なんてどうとでもやりくり出来た。
そうだ、真ちゃんの面倒を見てくれる彼女が現れるまで俺が変わりをしてあげるんだ、って。
でも、後から気付いたけど、お金には全く困ってなかったし、家政婦さんでも雇えばよかったね、なんて。
その次は真ちゃんの27歳の誕生日。
お別れ話を持ちかけようと思っても手は勝手にケーキを焼いていたし、俺は真ちゃんにキスなんかねだっちゃってさ。ささやかながら真ちゃんのお祝いをして、また年を重ねてしまった。
滑稽だね、余計に別れるのが辛くなった。
それから、俺の27歳の誕生日。クリスマス。大晦日。お正月。バレンタイン。ホワイトデー。
真ちゃんは年を重ねるごとに記念日やイベントごとを大切にしてくれるようになって、俺は嬉しかったよ。
それと同時に「これなら女の子と付き合っても大丈夫じゃん」って自分に言い聞かせながら。
それでも悔しいけど、俺は自分から離れることが出来なかった。
そして、27歳の春。今だよ?
今度こそ別れるって決めたのに駄目な俺はまた離れることが出来なかった。
だって、出来るはずがないじゃんか。
そろそろ引っ越ししようと言い出した真ちゃんの腕いっぱいに抱えられた分譲マンションのパンフレットを見た時、俺はまだ一緒にいたいって思ったんだ。
まだ真ちゃんと一緒にいることを許されてるんだって思った。
実はね、その日の夜、真ちゃんの腕の中でこっそり泣いちゃったんだ。
肩が震えすぎて真ちゃんに気付かれないよう必死に嗚咽を堪えてたんだわ。



ぽつり。ぽつり。
眉毛を八の字に垂らしながら問答の末観念した高尾の口から紡がれる想いに緑間は心を揺さぶられた。
だが、緑間としては高尾の本音を掻い摘むことが出来る数少ないチャンスなのだ。一字一句、そして、言葉の裏に隠された意味まで余すことなく心の中に仕舞い込もうと必死になる。

「いつかこの手紙を渡そうと思ってたよ。けど、どれだけ喧嘩しても何しても、やっぱ俺からはこの手紙を渡すことは出来なかったし、真ちゃんの側を離れることなんて到底出来なかった。ましてや、真ちゃんのことを嫌いになれるわけがなかったよ。それでさ、この10年で俺の心も身体も完全に真ちゃんに作りかえられちゃってさ。幸せの容量って際限なくって、俺の器はどんどん大きくなっちゃって、いつのまにかとんだ我儘になってた。」

 すぅ、と息を吸い、長々語られていた話にワンブレスを入れる。
高尾の橙色をした瞳はゆらりと揺るいだ。

「だから、真ちゃん。俺のこと、俺が捨ててって言ったら捨てて?俺の最後で最大の我儘をきいて?」

では、問おう。
一体どこの世界に愛している相手に「私を捨ててください」と言われて馬鹿正直に「はい、捨てましょう」と答える奴がいるのだろうか?
当然、緑間の身体の内ではふつふつと怒りが煮えたぎっていた。
長年愛し続けてきた相手にその様なことを言われたのである。
捨てろ、だと?
――――――ふざけるな、ふざけるな!!!!!

「お前は俺が簡単に捨てるような人間だと思っていたのか?」

その声に高尾は思わず身震いをした。
緑間は未だかつてない程に怒りを顕し、そして、彼の声は地を這うほどの低音で怒りを通り越して絶対零度の冷たさをまとっていた。
一度目線を下げ、彼の顔を直接見ないようにした。否、見れやしなかった。
口下手な彼であるが、緑間は更に続ける。

「俺は今まであらゆることに人事を尽くしてきた。勉強やバスケだけではない。お前との関係にだって人事を尽くしてきた。言葉が足りない、と自覚はしていたが、それでもお前への好意は伝えていたつもりだ。聡いお前なら気付いていただろう?」

緑間は先程とうって変わって声に優しさを滲ませた。
それには高尾もそろっ、とゆっくり首をあげると視線の先には微笑を浮かべた緑間がおり、驚いたように大きく目を見開いた。
「………お前を幸せに出来るのは俺だけだ。裏を返せば、俺を幸せに出来るのもお前だけなのだとも。」

「俺はお前を捨てるなど、ましてや逃がすなどしない。………決してな。」

そう言い切ると緑間は己の腕で高尾を抱き寄せた。
元々筋肉が付きにくい身体つきで、バスケをやめてからは殊更筋肉が落ちて薄くなってしまった高尾の抱き心地は決して良い訳ではない。ましてや女のような柔らかさなど皆無である。
しかし、平均男子以上の身長を持っていても高尾は心配になるほど華奢になってしまったのだから庇護欲を掻き立てられずにはいられなかった。
そして、何より今、抱き留めておかないとどこかへ行ってしまうのではないかと思わせるくらい、緑間にとって高尾は儚げであったのだ。
引っ越しの荷造りなんて今は忘れて、ただ高尾を腕の中から出したくなかった。
「おい、高尾。俺が抱きしめていてもこの腕から逃げようとするならば、俺はお前が逃げないようにこの左の薬指に重石でも置こうと思うのだが、どうだろうか?」
彼の言葉を聞いた高尾の目尻はじんわりと赤らんだ。
そうだな、トパーズなんかはどうだ?と一人したり顔をしていた緑間に腹が立つ様な、けれど、胸を鷲掴みにされてしまった。
「抱きつくのは胸が苦しい所為だから」と自分自身に言い訳をして、緑間の背中に腕を回す。
正直高尾はその言葉だけで、まだ、まだ、緑間の側にいてもいいと許された、と解釈していた。
一体そのネガティブ思考はどこから来ているのか緑間だけではなく高尾自身も不思議なくらいではあるが、緑間を信じてあげられない自分に少し嫌気がさすものの、その言葉を信じて見たいと思ったのもまた事実であった。
緑間の添い遂げたい、と思っている意志が彼に全く伝わっていないことは哀しくもあり頭の痛くなる話であるが、正直なところはっきり言葉にしていなかった緑間にも少しは要因があるはずなのだ。
「……………ふは、重っ。真ちゃん、それって最高に重いわ。」
高尾は涙声交じりで少し笑った。この目の前の男に重石を乗せられて困っている自分を想像すると少し可笑しくて、でも、涙がちょっと零れ落ちて。
その儚げな印象を与える高尾を緑間は見失わないよう腕に力を込めた。
今回のことで高尾は考えを改めたかどうか、緑間には悟れない。
けれど、繋ぎとめることに必死になろうではないか、と緑間は何十年計画での覚悟を決め、これからのことについて思いを馳せた。
そして、一体止めはいつ刺そうか?などと考えながら、緑間は面倒な恋人からの恋の遺書になるはずだった物をパンツのポケットにそっとしまいこんだのだ。