玄関の扉が開く音が聞こえたので、高尾は読み差しの資料をソファに放り投げて立ち上がった。今か今かと待ち構えていたため、先ほどから本の中身などさっぱり頭に入ってきていない。明日レポート提出なのに、と己の堪え性のなさに辟易するが、それもこれも全部淡白すぎるかの同居人のせいなのだと言い訳しつつ小走りで玄関へと向かった。
「真ちゃん!」
「高尾。帰っていたのか」
「おう、あたぼーよ」
だって真ちゃんが今日は珍しくゼミの集まりねえって言うからさ。飲み会蹴ってきちゃった。
そんな心中は言葉にせずに、高尾はただにっこり笑ってここ数日毎日繰り返している決まり文句を口にする。
「おかえり真ちゃん。今日はどうする? メシ? 風呂? それとも……」
「まだ食事にも風呂にも早いだろう。明日のレジュメを纏めなければならないから、しばらく話し掛けるなよ」
「……デスヨネー」
言うが早いかさっさと自室に戻ってしまう緑間の後ろ姿を見送って、高尾は恨めしげに時計を見やった。
午後五時。確かに夕食にも風呂にも早いが、最後の選択肢まで聞いてくれたっていいじゃねえか。なあおい。



ストップ・ザ・マシンガントーク




「もーほんと、どう思います!? 恋人と同棲してんのに、一ヶ月以上も手出さないってありえんのかよ!」
玄関先で連敗記録更新、勝率は果てしなくゼロ。そりゃあくだも巻きたくなる、とオレンジジュースを傾けながら同じサークルの二つ年上の友人に愚痴る。
「ホモの性事情なんか聞きたくねえよ」
「ひっでぇ、つれないこと言わないでくださいよぉ。カミングアウトしてんの大学じゃ先輩にだけだし、相談乗ってくれるくらいいんじゃないっすか?」
ひょんなことで現在同性の恋人と同棲しているのだ、とダジャレのように打ち明けても全く引くような素振りも見せなかった気のいい年上の友人は、げんなりしたような顔で首を振った。この、投げやりでいてなんだかんだと世話を焼いてくれる感じが、どことなくあの物騒なバスケ部の先輩に似ていて、高尾にとってはそこもとても好ましい。
「つってもお前さあ、最近飲みにくる度そればっかじゃねえか。とっとと寝込みでも襲えって俺は十回はアドバイスしたぞ」
「寝込み襲うとかハレンチなこと出来るわけねーでしょ! もっとちゃんと考えてくださいよチクショー」
「それこそ知るか! お前こそそろそろ女の子紹介しろよ、相談乗る代わりに約束しただろうが。知ってんだぞ合コン誘われまくってんの!」
「やー、だってねえ。オレは行けないけど、代わりにもっとかっこいい先輩紹介するよ〜って毎回言ってるんすけど、え〜高尾くん来ないならやめとく〜ってそればっかで」
「高尾死すべし。俺帰るから払っとけよ」
「あっ、あーっ待って! 待ってください、悪かったですって! 次こそちゃんと紹介しますから! だからなんか知恵を授けてくださいプリーズ」
腰を浮かせて帰ろうとする友人の腕を引っつかんで止め、店員に酒のお代わりを頼む。奢りますから、と片手で拝むような仕草をすると、渋々といった調子で席に座り直してくれた。
「……ていうかさ。実際お前らなんなん、ちゃんと付き合ってんのかよ? 話聞く限りじゃあんまりそうは思えないんだが……」
「失礼な、ちゃんと付き合ってますよ……多分」
「多分てなんだよ。あ、すみませーん、エイヒレ追加で。一味とマヨもお願いしまーす」
「いや、うーん、多分付き合ってるとは思うんですよね。てか一回、同居始めた時にヤったし。もち合意で」
「ヤったとかヤんねえとかはこの際置いとけよ。問題は普段の態度だろ。女王様と下僕の間違いじゃなくてか?」
「うぐ……痛いとこ突くなあ、先輩」
ーー遡ること一ヶ月半前、大学に進学すると同時に緑間と同居を決めた。
実家から片道二時間半は流石に通えないと判断したのか、一人暮らしを始めるのだと高校卒業前にぽつりと漏らしたのを聞いて、自分の大学も近いということで強引にシェアを提案したのだった。
親は少し反対したが、家賃も折半で済むし、まあ緑間くんと一緒なら大丈夫だろうと割合穏便に許可してくれた。緑間宅はというと、諸手を挙げて歓迎してくれたようだった。
……緑間宅に遊びに行っては色々お手伝いなりなんなりしてたし、生活能力のない息子をよろしくお願いしますとまで言われてしまってなんだか歯がゆくなったのを覚えている。
(そんで、同居始めてすぐ、緑間が女の子に告白されたとかで、カッとなってカミングアウトしたらまさかの両思いでした〜オチだったんだよ。やべえ、恥ずかしい)
そしてそのまま雪崩れ込んで既成事実作ってしまった、と。思い返すだにもっとちゃんと考えろよと頭を抱えたくなる。困ったことに、なまじ一回抱かれてしまったからあれから思い出す度に身体が疼いてどうしようもないのだ。
(ま、男同士だし、友情の延長線とか興味本位でって言い訳も効くようにあいつには逃げ道残してやるんだ。オレの方は多分更生不可能だけど、真ちゃんはわかんねーもんな)
なんとなくアンニュイな気分に浸っていると、先輩が突然ずい、と身を乗り出してきた。
「正直、お前がそいつのことめちゃくちゃ好きなのは知ってるよ。でも、あんまりにも見返りがねえならやめとけ。ホモのことは知らねえけどさ、そういうの、辛くなるばっかだろ」
そう、真顔で切り出した先輩の指摘は的を射ていて、思わずぎゅっと心臓が引き絞られるような気持ちになった。
「ありがとうございます。でも大丈夫っすよ、真ちゃんあー見えてなんだかんだ優しいんで」
「ふうん。それなら別にいいけど」
なんとなく納得しかねる様子の先輩に、再度大丈夫だと頷いて強引に話題を元に戻す。
「それより先輩、ほんとどうしたらいいと思います!? どーやったらあの堅物を色仕掛けで落とせますかね!?」
「それこそ知るか!」
「彼氏募集中の、おっぱいでかくて可愛い子紹介しますから!」
「よしわかった座れ。まず男心ってものを探求するところからだな……」


…………………
……………
………



(んで、結局バカ騒ぎするだけして帰ってきちまった)
あの後二人でなんやかやと色仕掛けの方策を考え抜き、上手くやれるかと不安げな高尾を景気付けるという名目でカラオケに洒落込み、流石に三次会に行くかというところで断って帰ってきた。時刻はもう零時を指そうとしている。明日が休みで本当に良かった。
一応今日は遅くなるとだけ連絡はしておいたが、緑間はもう寝てしまっている頃合いだろうか。
そんなことを考えつつ、こっそりと家の扉を開くと案の定電気が消えていた。
緑間のことを相談していた手前少しやましい気持ちもあり、顔を合わせずに済んだことにホッと安堵の息を吐く。
(疲れたし、風呂は明日の朝でいっか)
忍び足で緑間の部屋の扉をそうっと開いてみると、規則正しい寝息が奥のベッドから聞こえてきた。それを確認してから、高尾はいそいそと自室に戻って上着のポケットから紙切れを一枚取り出す。
「はあーあ。そりゃ確かに、可愛い女の子にこんなことされたら陥落必須だろーけどさ。オレがやって、効果あんのかねえ」
ソファベッドにどかりと腰掛け、その紙片に目を落とした。

『その1。風呂上がりの彼シャツ。
その2。適度なスキンシップ。寄り添うフリでボディタッチが◎。
その3。上目遣い。お前ならやれる!
その4。ここまで来てダメなら脱げ。ボタン三つくらい外して暑くなってきちゃった〜とかやっとけ。
その5。これでもダメならもう直接言え。恋人だってんなら、相手にねだられて嫌な気する男はいねーだろ。
健闘を祈る。Good Luck!』

「ふは! 先輩、グッドラックって、まじ、もー、はらいてえ」
なんだかんだと文句を言いつつ、真剣に書き連ねてくれた先輩の顔を思い出してじんわりと胸が温かくなった。
「っし。確か明日は真ちゃんも休みっつってたし、早速やってやろーじゃん。まず朝メシだよな〜、真ちゃんの好きな甘いたまごやきでも作ってやるかあ」
おざなりに高校からずっと使っているジャージに着替えてごろりと横になる。
薄い毛布一枚に包まって目を閉じながら、引っ越してきたばっかりの時はまだまだ寒かったのに、何時の間にか過ごしやすい季節になったなあとなんとなくそんなことを考えた。



**************************************************************



翌日、なんとか緑間の起床時間前に起き上がった高尾は、さっそく予定通り朝食を作る作業に取り掛かった。
同居を始めた当初は、料理なんて殆どしなかったものだから手探りで要領も悪く時間ばかり掛けてしまっていたのが、今じゃ寝ぼけ眼で立派に朝食の献立を一揃い作れるのだから人間進歩するものだ。
「うし、完璧」
炊き上がりを知らせる炊飯器のアラームと共に味噌汁の火を止め、ウィンナーを皿に移して玉子焼きをくるくると巻いて行く。半熟具合も完璧だ。これなら緑間も、あの分かりにくい笑顔を浮かべてくれるに違いない。
知らず鼻歌なんか歌いながら料理を居間に運んでいたところで、緑間が起きぬけの目蓋を擦りながら部屋に入ってきた。
「……高尾? おはようなのだよ」
「あ、真ちゃんおっはよー! 今日もいい天気だなあ。洗濯すっから、なんかあったら洗濯機入れとけよ」
「わかった」
もごもごと口の中で呟くような低い声に、こっそりと笑う。緑間は、少し朝に弱い。これは同居するようになってから新しく知ったことの一つだ。バスケ部の合宿の時は、気が張っていたからか朝からしゃっきりしていたものだが、気を抜けばご覧の通りらしい。そんな些細な秘密を知っているというのが、くすぐったく嬉しかった。
「……む。玉子焼きがあるのだよ」
「お、さすが真ちゃん、それに目ぇつけちゃいますか。聞いて驚け、真ちゃんの好きな甘いやつだぜ」
「……そうか」
ふわりと、緑間の周りの空気が和らぐ。
(お? なんか、結構いい雰囲気じゃね)
寝起きでぼんやりしているからと言うのもあるだろうが、なんとなく緑間の態度がいつもより柔らかい。すぐにでもぎゅうぎゅうとくっつきたくなる衝動を何とか堪えて、まずは風呂、なんにせよ風呂に入らなければ始まらないと脳内で念仏のように唱え続けた。
「なあ真ちゃん、真ちゃんて今日休みなんだよな?」
おは朝を見ながら朝食を摂った後で、緑茶を啜りながら新聞を広げる緑間に確認すると、ああ、と短い返事があった。
「どうした? 何か手伝うか」
「あ、いや、大丈夫。ちょっと確認しただけ」
よし、休みだ。しかもこんなに機嫌がいい(端から見てもあまり分からないが)緑間は珍しい。これはさっさとやることを終わらせて計画に移った方が良さそうだ。
高尾は一つ気合いを入れると、さっそく洗濯機を回し、掃除機を取り出す。朝っぱらから誘ったりしたら真面目な緑間は渋面をするかもしれないが、そんなことを気に掛けていられるほど高尾自身に余裕もなかった。


家事を全て終わらせ、時計を見ると午前十時少し前を指していた。
(よし、シャワー行くぞ)
まだ畳んでいない洗濯物の中から緑間のシャツを拝借する。疚しいことをしている自覚はあるため、緑間が部屋に引っ込んでいることは分かりながらもきょろきょろと挙動不審に周りを見回してしまった。
シャワーを浴び、念入りに身体を洗い、面倒でないよう情事に備えて準備もしておく。緑間は誘うたびに軽々しく声を掛けて、と思っているかもしれないが、高尾は誘いを掛ける前には念には念を入れて必ず準備まで済ませていた。だからこんなことは最早慣れで朝飯前なのだが、これから初めて直球の色仕掛けと言われるものをやるのだと思うと、緊張で身体が硬くなる。
(真ちゃん、乗ってくれっかな。呆れっかな。多分軽蔑とかはしねーだろうけど、やっぱちょっと、ここまでして断られたら、凹むわ)
ふるり、と小さく震えた身体を両の腕で抱いて、呼吸を落ち着ける。
悩んでいても仕方ない。
実行あるのみ、仮に呆れられて変な雰囲気になっても冗談だと茶化せばいいだけだ。
シャワーを済ませ、まずは下着を履いただけで上に緑間のシャツを羽織る。なんだかんだでこんな風に緑間の服を羽織るのは部活でジャージを忘れた時以来で、洗剤の匂いの中に緑間特有の匂いがするようでひどく興奮した。
(オレ変態みたいじゃんね)
羽織った緑間のシャツはやはり大きくて、袖口も裾もぶかぶかだった。
そのままぎくしゃくとする手足を何とか動かして緑間の部屋の前に辿り着き、深呼吸を一つしてからノックしてみる。
「し、真ちゃん? 入っていい?」
「高尾か? ああ、構わないのだよ」
なんの気負いもなく返されたその言葉に、意を決して扉を開いた。
「どうした? 何か用、か……? ……?」
あ。固まってる。
そりゃそうか、と少し気後れしそうになりながらも、椅子に座ってパソコンと向かい合っている緑間の手を引いて床の座布団に座らせる。
「真ちゃん、ごめんなー。オレの服、洗濯入れる時ベランダの床に落としちゃって、もっかい洗うことにしたからシャツ借りたわ」
「そ……そうか。構わないが、汚すなよ」
「汚さねーって。ありがとな、真ちゃん」
ちらりと緑間の様子を窺ったが、眉を顰めて不機嫌そうな顔のまま視線を逸らしてしまっていた。
(……照れてんのか、呆れてんのか微妙なラインだよなあ)
それならば、と高尾はステップ2に移ることにする。
そっぽを向いてこちらを見ようとしない緑間に身体ごと擦り寄ると、ぴくりと肩が小さく跳ねた。
「なーあ、真ちゃん、こっち向けって」
ああもう、まだるっこしい。ついでにステップ3の上目遣いも同時にこなしてみたのだが、緑間がこちらを向かないことには意味がない。
媚びるような声でこっちを向いて欲しい、と嘆願したのだが、緑間の頭は巌のように高尾から逸らされたまま動かなかった。
「なあ、真ちゃんってば……」
「……高尾、オレは忙しいのだよ。明日までの課題が二つある。用事がないのなら、出て行って欲しいのだが」
目を逸らしたまま、平坦な声で言われて思わず怯む。
あ、やべえ、真ちゃん、ちょっと不機嫌だ。
ここで引くべきか、と冷静な部分の頭が至極真っ当な結論を弾き出すのだが、ここまでやって何でもありません、とすごすご帰るなんて惨めすぎると熱した感情が後押しする。
「高尾」
迷惑そうな声音にひくりと喉が引き攣りながらも、引かないという意思表示に高尾は頭を振った。そうだ、結局ここで引こうが引くまいが、高尾の緑間に対する欲求が治まることはないのだ。だったら、最初にそうしたみたいに、緑間が折れるまで押して押して、押し倒してしまえばいい。
そうだ、ステップ4は、なんだっけ。
考えながら、淡々とシャツのボタンを外していく。一個、二個、三個。なあ先輩、外すのって三個でいいんだっけ。あ、でも、そもそも緑間がこっち向いてくんなきゃ、こんなん意味ないよな。
「なあ。真ちゃん、こっち向いてよ」
「お前のくだらない遊びに付き合っている暇はないのだよ」
「遊びじゃ、ねーもん。なあ真ちゃん。お願いだから」
いくら嘆願しても冷たい態度を崩さない緑間に、ぎすぎすと、次第に心が棘を持って軋んで行く。
「お願いだから、こっち見てよ、なあ」
ステップ5はなんだっけ。先輩お墨付きの、最終手段は。
「高尾、いい加減に……」
「真ちゃん。お願い、こっち見てよ。オレ、お前に」
抱いて欲しいんだよ、と。
大好きだから、お前も同じ気持ちであって欲しいから、どうか拒んでくれるなと、そっと胸元に伸ばした手は、届かずに終わる。
ぱしん、と乾いた音がして、衝撃はその後だった。
「……え、」
わけが分からず、曖昧な笑みを浮かべたまま緑間を見つめる。
恐る恐る宙に浮いたままの己の手に視線を泳がせて、ああ、緑間に触れようとして叩き落とされたのだと悟った瞬間、身体中の血がざっと引いたような気がした。
「す、すまない。大丈夫か?」
あまりに予想外のことが起こったからか、慌てたように問うてくる緑間に答えることもできず、呆然と見つめることしかできない。
「え……と」
何か。何か、言わなければ。
ほら、緑間だって困ったふうに眉を顰めている。いつもみたいに茶化して終わらせるんだ。そうしないと、きっともうすぐ泣き出してしまう。えっと。どうすんだっけ。失敗したら、どうすればいいんだっけ?
「や……だなぁ、ジョーダンじゃん、なにマジんなってんの、真ちゃん」
「……冗談?」
「そ、冗談。ちょっとからかってやろうかなって思っただけだよ。んな怒ると思ってなかったんだって。悪かったよ、気持ち悪ぃことして」
「…………」
「あー、びっくりしたわ。真ちゃんってほんとマジメなのな。ほんと、まさか、あんなに怒るなんて、思わなかったし」
カタカタと、震える指先でみっともなく肌蹴たシャツのボタンを一つ一つ止めて行く。一体オレは何を浮かれていたんだ。こんな色仕掛けなんてもの、女の子がやってこそなのに、こんな平べったい、なんの魅力もない身体張ったって滑稽なだけだって心のどこかではわかってたはずなのに。はやくこんなみっともない身体は隠してしまわなければと思うのに、震える指先は思い通りには中々動いてくれない。
「高尾」
「や、だから。悪かったって。怒んなよ、ほんと、まさかこんな……こんなくだんねえ冗談でそこまで、怒るなんて、思わなかった」
震える声は悟られていないだろうか。言っている内容も、ただ怒らないで欲しいと再三訴えるだけで支離滅裂だ。結局ボタンも、ようやく止まったのはいいが掛け違えていた。
「真ちゃん、ほんと冗談通じねえんだからなあ。マジメか」
けらけらと、そんな精一杯の虚勢に、緑間は暫し難しい顔で考え込んだ後、怒りを孕んだ目で高尾を見る。
「そういう冗談は、好かないのだよ」
その、すべてを暴くような清廉な視線に、指先まで凍り付くように冷たくなるのを感じた。
「……知って、る」
「いつも適切な距離を保って冗談を飛ばすお前らしくないのだよ、高尾。どうかしたのか?」
どうかしたのか、と、お前がそれを聞くのかとひどく惨めになってきて俯く。
ーー冗談じゃなかったから、間違えたんだよ。
オレばっかりお前のことで頭いっぱいで、ほんとに腹立つよ。
そう、頭の中では叫んでいるのに、持ち前の意地がそれを表に出すことを良しとしない。
「どーもねえよ。……悪ぃけど、オレ、ちょっと用事あったの思い出したから、行ってくるわ」
「用事? 今日は何もないと……」
「いーじゃん。オレがどこ行こうが、お前には関係ないだろ」
「おい、何を言って……」
本気で訳がわからない、と少しだけ焦りの色が浮かぶ端正な面立ちを見るのも辛くて、俯いたまま立ち上がって扉に手を掛けた。
「おい高尾」
「今日中には帰るから!」
言い捨てて部屋を飛び出そうと開いた扉が、肩越しに伸びてきた腕で力任せに閉じられる。
ばたん、と大きな音を立てたそれにびくりと肩を跳ねさせると、背中ごしに憎らしい体温を感じて視界が煙った。
「……離せよ」
「駄目だ」
「駄目って何が。別に、ちょっと出てくるだけって言ってんだろ」
「お前が何か誤解をしているからだ」
「誤解? なんの。誤解なんか少しもしてねえよ。だから離せよ、緑間」
「…………」
埒が明かないと思ったのか、黙り込んだ緑間が俯いたままの高尾の顎を掴んで力任せに振り向かせようとする。
どうせひどい顔をしているに違いないのだから、見せたくないと必死に抵抗したのに、耳元でたかお、なんて吹き込まれたらぐんにゃりと力が抜けてしまった。
そのまま顎を捉えられ、みっともなく歪んだ顔が緑間にさらされる。沈黙が怖くて、恐る恐る視線を上げると、あの、高尾がいつも焦がれてやまない、清廉な瞳がぱちりとひとつ瞬いた。その瞳の輝きに、急速に凶暴な衝動が薄れて行くのを感じる。
(……ああ、そうだよ。お前は何も悪くない。オレはお前のそういう、やましいことなんて何も考えたことありませんみたいな、そういう目が好きなんだ。最初から分かってたじゃないか。分不相応な望みを抱くな。オレのあさましさで、こいつを汚しちゃいけない。どうしてそんなこと、忘れてたんだろう)
最初は緑間の淡白さに痺れを切らしていたはずが、今じゃ色仕掛けなんてしようとしてしまったこと自体がひどく馬鹿げたことに思えた。
「真ちゃん、ごめんな」
「……何を謝る?」
「オレ、バカなこと考えたし、それで思い通りになんないからって、さっきお前に八つ当たりしようとした」
「…………」
「ごめん。オレどうかしてたんだよ。ルームシェアなんか始めたから浮かれてた。な、だから真ちゃん、離してくんね? 出掛けんのはやめるからさ。みっともねえから着替えもしてえし、部屋戻るだけ……」
緑間の顔が直視できず、視線を逸らしたままそこまで一息で吐き出すと、数秒の重い沈黙の後、はあ、と呆れたような溜息を頭上で吐かれる。
「だから、お前は誤解していると言ったのだよ。一体何を言っているんだ」
「誤解って……真ちゃんこそ何言ってんだよ。いいから離せよ」
「駄目だ」
「だから……っ、今はお前といたくないって言ってんだよ! 分かれよ、この朴念仁!」
離して欲しいと再三訴えたのに、確たる理由もなく拒まれ続けて思わずカッとなってしまった。そんな高尾を見て、緑間の瞳がスッと細まる。
「高尾」
呼ぶ声は氷点下に冷え切っていて、思わず小さく肩を跳ねあげる。
(やばい、ほんとに怒らせた)
元から怒らせるつもりなんてこれっぽっちもなかったのに、どうしてこうなってしまったんだろう。緑間の地雷をどこかで踏み抜いたのは明白だったが、元々緑間の地雷はどこに埋まっているのか判別しがたい。手を叩き払われて以降の自分の行動や言動を必死に思い返してみたが、緑間が怒るようなことをした覚えは全くなかった。
(ごめんて、謝ったじゃんか。みっともない色仕掛けも冗談だって取り消したし、外行くの嫌がるから部屋に戻るだけってことにしたじゃん。朴念仁って言ったのが悪かったのかよ? でもそんなん、普段からよく言ってんじゃんか)
訳がわからなくて、解決策も思い浮かばなくて、再び視界がじわりと揺らいだ。
(……やっぱ、抱いて欲しいとかそういうの自体、無理だったんかなあ。最初の時も、真ちゃん戸惑ってたし。無理なら無理で言ってくれりゃいいのに、頑張って最後までやっちゃう辺りがこいつなんだよなあ)
初めて身体を繋げた日のことを思い返して、思わず小さく笑みが漏れる。いいや、もう。やめよう。お前が困るとこなんて見たくねえよ。お前にはいつでも、自信満々な唯我独尊エース様でいて欲しい。逃げ道を残してやるなんて決めたのも、ほかでもない、自分だ。
「……悪かったよ、怒ってるなら何回でも謝る。でも今日はお互い冷静じゃないだろ。ちょっと時間おいて、明日また話そうよ。出来るならあんなどーしょーもねえの、綺麗さっぱり忘れてくれたらありがてえなと思うけどさ」
「……わかった」
平素よりも数トーン低い声で短く落とした緑間はどうあがいても怒っていたが、その口唇から承諾の言葉が出てきたことにひとまずホッと息を吐いた。
「ん……じゃあ、また」
いつも部屋に戻る時に冗談めかしてする、抱きつくような仕草はさすがに躊躇われて、せめてもと緑間の部屋着の裾を掴む。
「……ごめんな」
金輪際こんなことはしないから、どうか同居人としてだけは傍に置いてほしい。
そう願ってぽつりと落とした言葉が、どうやら緑間の激情を押さえ付けていた最後の楔を叩き割ったらしかった。
らしからぬ乱暴な仕草で前髪を掻き上げると、苛立たしげに舌打ちする。下品と言われるその仕草も、毛並みのいい緑間がすると、白手袋を叩きつけるような上品さが感じられた。
「来い」
「……へ?」
「来いと言っている。早くしろ。高尾」
何がなんだか状況が飲み込めず狼狽する高尾に痺れを切らしたのか、痛いくらいの力で手首を掴まれて部屋の奥、ベッドの方へと引きずられて行く。
「ちょ、ちょっと真ちゃん! なんだよ、なんでそんな怒るんだよ? こんなん、今回のは確かにちょっと悪質だったかもしんねーけど、いつもやってる悪戯じゃん」
そこまで許されがたいことをしたのかと喚く高尾に、緑間はくるりと振り向いて。
「七回だ」
「……は?」
「オレがお前の手を払ってしまってから、お前が中身のない謝罪を口にした回数だ。一体お前になんの非があった?」
「え……う……?」
怒気を孕んだ表情で、どんな罵倒をされるのかと構えていたのに、にわかには緑間の言おうとしていることが分からなくて困惑する。
「や……でもさ、真ちゃん、あーゆー冗談嫌いだって言ったじゃねえか。だから、悪かったって……」
「……お前はいつもそうなのだよ。なんでもかんでも自分が悪かったことにして片付けようとする。それは確かに楽だろうな、何も解決せずともお前が勝手に抱え込んで終わりにすればいいのだから」
「そ……んなつもりじゃ、」
「ない、というのだろう? だがオレにしてみれば、毎度毎度見くびるのもいい加減にして欲しいのだよ」
焦りばかりが先立って、緑間が何を言おうとしているのかさっぱりわからない。 ただ、己のなんらかを糾弾されているのだということだけは理解できるから、反射的に緑間の嫌う言葉が口唇から零れ落ちてしまう。
「ごめ……」
「ほら見ろ、まただ。どうしてそう軽々しく謝って済まそうとする」
「だから……!」
もう放っておいて欲しいと思った。
元はといえばあんな馬鹿げた色仕掛けを敢行した己が悪かったのだから、それを謝っているだけだ。一体ここまで詰られる何をしたというのか。せっかくの二人そろっての休日なのに、全部全部台無しだ。
「も……やだ。もー、いいだろ、緑間。もうやめよう。謝られんのが嫌なら、オレ、ちゃんとお前が何怒ってんのか考えっから」
だからもう部屋に帰してくれ、と言外に嘆願するのに、緑間は掴んだ手に更に力を込める。
「その必要はない」
「意味、わかんねえって……っ!?」
もう理解できない、お手上げだと視線を逸らした瞬間、高尾の視界がぐるりと反転した。
白色の蛍光灯の煌々とした光が一瞬で網膜を焼き、くらくらと眩暈がする。どさり、という鈍い音と共に背中に衝撃が走り、ようやく高尾は緑間によってベッドに押し倒されたのだと悟った。
「おい緑間、どういうつもりだよ」
「それをお前が聞くのか? オレにこうして欲しくて、あんなことをしたのではないのか」
「……は。何それ。最低だな、お前」
自分の浅ましい欲求が看破されていたということよりも、それをこんな風に突きつけられ貶められたことにショックを受けた。
「……ああそうだよ、オレはお前に抱いて欲しいんだよ、悪いかよ。一回こっきりで宥めすかすつもりだったんだろうけど当てが外れて残念だったな」
「…………」
「お前と違って、こちとら煩悩塗れなんだよ。ほら、どうだよ、気色悪ぃだろ? でももう、そんなん止めるからって、さっきから、言ってんのに。何でそんな、ひでぇこと言う……ッ!?」
弱々しく擦れて消えそうな語尾は、乱暴に口唇を塞がれたことで完全に喉の奥へと消えて行った。
突然のことに目を瞠ると、目蓋を開いたままの緑間と至近距離で目が合う。その視線が、普段からは想像もつかないくらいに熱を帯びていて、あまりの獰猛さに怖れすら抱いた。
「ふ……ぅン、ん、ン……」
何とか頭を振って逃れようとするのに、後頭部と頤を両の手できつく捉えられ動くことすら出来ない。抵抗を諦めた高尾の頭部を尚も強く拘束しながらも、口腔内をぬめった舌先が好き勝手に蹂躙して行く。飲み込めない唾液がとろりと口端から溢れ出す頃には、涙の膜の張った瞳を細め、ひくひくと間断なく身体を跳ねさせることしか出来なくなっていた。
「ふ……ぁう……ンん……」
ようやく接吻けを解かれて、荒い息を整えながら滲む視界でぼんやりと緑間を見つめる。
何か言おうと、きつく吸い上げられじんじんと痺れたようになっている口唇を開こうとしたが、すぐに口内に左手指を突き入れられたため言葉は出てこなかった。
「ん……ぅ……」
「高尾。お前には一旦スイッチが入るととことん自虐に走る悪癖があるようだな。ペラペラとどうしようもないことを喋っては、自分で勝手に傷付いて世話がないのだよ。オレがいつお前を気色悪いなどと言った? いつ謝罪が欲しいと言った」 「っふ……ら、って」
言い返そうと、指先を噛んで傷付けないように気を付けながら声を発するも、すぐに緑間によって制止されてしまう。
「喋るな。今から余計なことを喋ったら、お前が嫌がることを率先してやる。いいな」
「んなの、ん、ンんーーー!」
横暴すぎるし急すぎて訳がわからないと、なんとか反駁したいのに、意味を持った言葉を発しようとした瞬間服越しに中心を握り込まれて余りの衝撃に涙すら浮かんできた。
「どうする。お前が、どうしても反射で何か喋ってしまうというのなら、本意ではないがタオルでも噛ませてやるのだよ」
「…………」
「それが嫌なら、大人しくしていろ。いい機会だ、最初の時に、お前のお喋りのせいでどれだけオレがペースを乱されて困らされたか思い知らせてやる」
「……ペース、乱れてたのかよ?」
喋るなと言われたが、驚きの告白にこれだけは聞いておかねばと問い掛ける。すると、緑間は若干罰が悪そうにしながらもちゃんと答えてくれた。
「オレがせっかく色々と調べて計画を立てておいてやったのに、お前が何をしても笑い転げるわ下品なことを喋くり回すわで少しもペースが掴めなかったのだよ。だから次こそはと、人事を尽くして解決策を考えていたのに、オレの苦心も知らずにお前は……」
「……解決策、って……真ちゃんも、ちょっとくらい、もっかいオレとしたいって思ってくれてたっつー、こと?」
恐る恐る問い掛けると、緑間は不承不承と言った感じで頷く。
「だから。そう言っている。さっきお前の手を払ってしまったのも、あのまま歯止めが効かなくなって流されれば前回の二の舞だと分かっていたからなのだよ。そのくらい、察しろ。ばかめ」
「……ふは。もー、なんなの、真ちゃんほんと、おーぼーなんだからさぁ。そゆの、言ってくんなきゃ、いくら高尾くんがハイスペックだからってわかんねーかんね?」
忌避されていた訳ではなかったのだと知って、安堵からじわりと涙が浮かんでくる。
それが粒になって頬を伝う前に、ぺろりと目尻を舌先で撫でられて緩く身を捩った。
「泣くな。それと、もう喋るな。今日はオレの好きにさせて貰うのだよ」
「泣かせてんの、誰だっつーの……ぅひゃ!?」
思わず悪態をついた途端に、べろりと耳朶を舐め上げられて大袈裟に身体を跳ねさせてしまった。
「、め、ちょ、そこ、弱いって……! ぁう!」
「わざとだ、ばかめ。余計なことを喋ったら、お前の嫌がることをすると宣言しただろう」
「ふは、なにそれ、な、ん、ンッ! やめ、ほんと、んん……」
ぴちゃぴちゃと直接鼓膜に響くいやらしい水音に、くったりと全身の力が抜けて行く。はふはふと息を整えるのが精一杯といった高尾の様子を眺めながら、緑間は至極楽しそうに死刑宣告を下した。
「お前が嫌がりそうなことで、オレがやってみたいことは山ほどあるのだよ。気になるのなら、好きなだけ茶化すようなことでも喋ればいい。その場合、翌日お前がまともに立って動ける保証はしないがな」




**************************************************************




「やだ……って、真ちゃ、も、ほんと……ひぅ!」
「お前も本当に懲りないやつなのだよ、高尾。『嫌だ』も余計なことと見做すと伝えただろう」
「や……、やァ、そこもぉ、や……!」
緑間が決めた一方的なルールを破るたびに身体の奥の、一番感じる部分を指の腹で執拗に抉られて、ひくひくと感じ入ったように身体を震わせる。そんな高尾を見おろして、緑間は満足げに口唇を緩めた。勝ち気に吊り上がった目尻もふにゃりと赤らんで緩み、涙の粒がひっかかって蕩けている。先ほどからシーツを緩く掴みながらさまよわせている指先をとって接吻けると、半ば焦点を失っていた瞳が羞恥に揺れた。
ーーいい気味なのだよ。
普段のこいつならば、この辺りで『そんなしつっこく弄るとかwww真ちゃんまじムッツリ間でウケるwww高尾くんそんな丁寧にしてもらわなくても、男の子だからだいじょーぶよwww』なんて色気も何もないセリフを飛ばしてきていたはず。ソースは前回の行為だ。いい雰囲気だったところで実際に言われたのだから禍根は深い。
ーー喋るのを禁止するだけでこうも弱るのなら、前回もさっさと口を塞いでしまえば良かったのだよ。
内心で呟いて、間断なくルールを侵す高尾の声に応じるように奥を苛め倒すと、ついに細い嬌声がすすり泣きに変わる。
「しんちゃ、おねが、もぉむり、やだ、ゆるして」
「許す? 別にオレは、お前に何か無体を強いているわけではないが」
「だっ、てぇ、そこ、そこほんと、やぁ、なの、いや、いや」
「好きなんだろう? 随分気持ちよさそうだが」
「ひん……! ぁ、ァん、んぅうー……」
これも、普段の高尾ならば『真ちゃんのドS! 最低! 澄ました顔してえーろいんだー!』などととんでもなく萎えるセリフを飛ばしてきていただろう。ソースは前回の以下略。
「嫌なのは分かったが、口に出せば出すほど不都合を被るのはお前なのだよ、高尾。オレが一度決めたことを曲げないのは知っているだろう」
「ふぅう……しんちゃ、おねが、だからもうやめ、もう」
「やめてもいいのか?」
ん? と優しげな口調で問い掛けつつ、とろとろと先走りを垂れ流している堪え性のない中心を握り込むと、ひゅっと喉が鳴って次の瞬間には大袈裟なくらいに身体をはね上げて達してしまった。
「……本当に我慢の効かないやつなのだよ」
手のひらに吐き出された白濁を見せ付けるように舌で舐め取ると、信じられないとでも言いたげに潤んだ瞳が見開かれた。
「うぅ……う、うぇ」
シーツを掴んでいた手で顔を覆い、ぼろぼろと本格的に涙を零し始める高尾の髪を労るように梳る。
高校時代から、こいつはかの有名な芸人よろしくいつでも何かしら喋っていないと死ぬのだろうかと訝っていたが、死ぬまではいかなくとも相当弱体化はするようだった……弱体化なんて、高尾がいい歳をして趣味で続けているカードゲームの用語に毒されているなと嘆息しつつ。
恐らく、高尾が言葉を雪崩のように積み重ねるのは、彼がそれによって感情を制御しているからなのだろうということは理解していた。軽薄な見掛けとは裏腹に、負けず嫌いで情熱的で。図太いように見えて人一倍感受性が鋭い高尾が、陳腐なラブロマンス映画を見た後に『ぶっは、実際あんななんでもかんでも上手くいかねーよなあ! でもまあハッピーエンドでよかったっつーか? 面白かったなぁ、色んな意味でwww』なんて嘯きつつ目元を仄赤く染めていたのを知っている。
言霊、というものがある。口に出せば、よくも悪くもそれは心に染み入り、口に出した人間にとって一種の真実になってしまうのだろう。高尾は、そんな風にして自分をコントロールする術に長けていた。悔しければ茶化し、悲しければ笑い。どうしようもなく傷付いているのに、冗談で済まそうとする。挙句が訳も分からず謝って終わらせようとするから、先ほどはらしくもなく怒りを露わにしてしまった。
「オレは、お前の本音が聞きたいのだよ」
ぽつりと漏らしたその言葉に、ぱちりと濡れた瞳が瞬く。
「……しんちゃん?」
「…………」
驚いたような表情に罰が悪くなり、しっとりと汗ばんで手の平に吸い付く太腿を肩に抱え上げる。隠しておきたい場所が全て曝されるその態勢に、開放の余韻でぽやんとしていた高尾が慌てたように暴れ出した。
「しんちゃっ、てば、こんなカッコ、やだって……!」
「本当に懲りないな、高尾」
短く言い捨てて、日々の柔軟の賜物か、しなやかに動く身体をぐいぐいと折り曲げていく。
「やっ、だ、やだってば、やだやだやだ!」
顔を真っ赤にして喚いても、達したばかりで力の入らない身体を抑えつけるのは容易い。
先ほどまで執拗に弄り回していた後孔が物欲しげにひくつくのが容易に見てとれる態勢に、図らずもごくりと唾液を嚥下する。
「……高尾」
「ひっ、く、そ、なとこ、見んなよ、しんちゃ、見ないで」
「…………」
「だって、萎えんだろ。やだよ、オレ、お前に幻滅されんのが、一番やだ」
しゃくり上げながらぽろぽろと零される高尾の本音に、少しだけ目を瞠った。
「……ばかめ。お前は日々人事を尽くしている。幻滅なんて、するはずがないのだよ」
「そ、ゆーんじゃなくて。オレ、男じゃん。お前が、やっぱ間違えたって気付いたら、逃がしてやろうって思ってたんだよ。でも、やだ。やなんだよ。お前にどんな形でも、幻滅されたくないんだよ」
ぽろぽろと、初めて零された弱々しい本音は穏やかな水滴のようだ。緑間は驚きつつも、その一言一言を大事に拾い上げて胸に仕舞っていく。
「そんな心配は、無用なのだよ。お前のどこをとっても、オレにとっては好ましいのだから」
良く言えましたと、そういう意図ではないにしろ緑間も真摯に本音で返した。髪を撫でつけながら耳元に吹き込むと、ふにゃりと情けなく眉根が下がる。そうして、堪らないとでもいうように首元に強く抱きつき、胸元に頬をすり寄せてきた。
「しんちゃん……しんちゃん、しんちゃんっ」
「どうした?」
「オレ……オレ、しんちゃんと、えっちしたい」
「……ああ」
「抱いて欲しいんだよ。お願い。もう、意地悪すんなよ。もーやだとか、言わねえから。余計なことも喋んないから、だからっ」
「……本当にお前は、性質が悪いのだよ」
足を抱え上げたまま、曝された秘所に痛いほど勃ち上がっている己の先端をぴとりと押し付ける。ひくりと収縮し、二度目だというのに誘い込むような動きをするのは何故だと理不尽な怒りを覚えつつ、そのままぬるぬると先走りを塗り込めるように腰を動かした。
「ひ……ん、んぅ、しんちゃ、はやく、はやくっ」
「……っ、挿れるぞ」
「ん、ンンーーー!」
ぐぷり、と濡れた音を立てて先端が高尾の内部に侵入する。
「あ、あ……」
感じ入ったようにひくりと全身を震わせ、口唇をわななかせた高尾は、次の瞬間恐慌を起こしたように泣き喚いた。
「ひ、ア、ぁあ、や、しんちゃ、の、入って、はいってき……ンあぁあ!」
「くっ……おい、高尾!」
ぎゅう、と割り入った両足が痛いくらいに緑間の腰に絡みつく。予想外の激しい反応に思わず舌打ちすると、その仕草にすら煽られるのか高尾はしゃくり上げながらまた達してしまったようだった。
「くぅ、ん……あ、あ、しん、ちゃぁ……」
「……まだ、先端しか入っていないのだよ」
「ごめっ……でもオレ、なんかおかし、ひァあ……」
自分でも、自分の身体の異変に付いていけないのだろう。涙と唾液でぐしゃぐしゃになった頬を左手で包み込みながらゆっくりと残りを挿入していくと、耐えかねたように指先に吸い付いてくる。
「んふぅ……あ、だめ、あ、やだ、しんちゃんの、びくびくして、ァん」
「……っ、」
「ひぃん……おっきぃ、の、奥まで……あぁあ、しんちゃん、しんちゃんん……」
「っはぁ、高尾、もういいから黙れ。これ以上煽るな」
ぴちゃぴちゃと、猫のように指先に吸い付く舌を優しく掴んでから離させると、空いた左手ですっかり立ち上がって固く尖っている胸の突起を摘み上げる。びくんと身体を跳ねさせ余計な力が抜けたのを見計らって、無意識に上にずり上がり刺激から逃げようとする高尾の最奥に腰を嵌め込んだ。
「は……高尾、大丈夫か」
「ン……だい、じょ、ぶ。あ、そこ、そこ触んな、で、だめ、またいっちゃ……」
最奥を先端でぐりぐりと押しながら胸を甘噛みすると、身をよじってどうにか快感から逃れようとするのに嗜虐心を煽られて執拗に苛め倒す。
「ぁン、だめ、だめぇ」
はふはふと甘ったるい吐息を零して感じ入っている高尾の内部を、そろそろいいかとゆったりとかき混ぜるようにしてやるといやいやと頭を振って甲高い声が上がった。
「あっあっ、しんちゃ、きもちい、だめ、オレっ、おかしくなっ……ぁああ」
びくびくと跳ねる身体を抑えつけ、衝動のままに突き上げる。ぎゅう、と腕に縋る指先に力が入るのすら愛しく思え、きつく閉じられた目蓋を舌で舐め上げると、快楽に蕩けて焦点を失った瞳が確かに緑間を捉えた。
「しんちゃ……あの、あのさ」
「っ、なんだ」
「オレの、からだ、きもちい?」
好き勝手揺さぶられながらもそんなことを不安げに問うものだから、緑間の方もいよいよ我慢が効かなくなってくる。
「……ああ。他ならぬお前としているのだから、当然なのだよ」
「よか、た。オレ、しんちゃんの気持ちいいこと、なんでもすっから。だから……あ、あっ!?」
「もういい、もう本当に喋るな。もたないのだよ」
「ひぁア……あっあっ! いく、いっちゃう、やだ、しんちゃ、いくの、やだぁ」
「何が嫌なのだよ。っ、ほら、イけ!」
「あ、あーーー!」
ずぷん、と思い切り最奥を突き上げると、悲鳴じみた嬌声を上げて達した。精魂尽き果てたのか、ぐったりと力を失った身体を抱え上げ、対面座位の格好を取らせると、先ほどより深くまで挿入されるせいか弱々しく泣きじゃくってしまう。
「オレ、ぇ、も、あ、あン、んぅう」
もうなすがままの高尾の腕を首に回させ、眼前に突き出される形になった胸の尖りを口唇で挟んで交互に吸い上げた。
「ひ、ぁあ、あ、ん」
「まだ二回目なのに、いやらしい身体なのだよ。ここを弄ると、締め付けてくる」
「んんん……」
恥ずかしいからやめろと言いたいのだろうが、余計なことを言うと恥ずかしい仕打ちをされるだけだとようやく学習したのか、ふるふると頭を振って甘い声を漏らすだけ。
ぐちぐちと、最奥に嵌め込んだままいいところを揺すってやると、むずがるように胸元でぱさぱさと髪を振り乱した。
「っはあ、高尾」
「ん、ン、」
「名前は、いいのだよ」
「ん、ぁ、え?」
「だから。オレの名前を呼ぶくらいは、いい」
譲歩すると見せかけて呼ばれたいのがバレバレな要求にも、快楽でまともな思考が飛んでいる高尾は気付かなかったようだ。ふにゃ、と至極幸せそうに笑って、しんちゃん、と宝物に触れるようなあまい声で名を呼ぶものだから、堪らない気持ちになる。
「あ、しんちゃん、しんちゃん。しんちゃ、あァ、また、またいっちゃ、」
激しく突き上げられ、開きっぱなしの口唇からは間断なく喘ぎと唾液が零れていた。それを掬い止めるように接吻けを深くし、開放を促すように前も同時に擦り上げてやる。
「んぅうー……ぷぁ、あ、しんちゃん、んく、んン、いっちゃう、いく、ふぁあ!」
「くっ」
髪を振り乱し、びくりと一際大きく身体を跳ねさせたかと思うと高尾は都合四度目の精を放ち、今度こそ本当にぐったりとしてしまった。時折行為の余韻で小さく震える感触を腕の中に感じながら、緑間も少し遅れて高尾の中に開放する。
「ふぁ……ぁあ、あ、しんちゃ、の、出て……」
「……大丈夫か」
「……ふは。だいじょーぶ、だって、ば」
言い終わるが早いか、とろりと眠たげな目を瞬かせて目蓋を閉じようとする高尾の額に口唇を落とす。
その優しい感触に、高尾は幸せそうに頬を緩めた後で。
「ふふ……やーい、しんちゃんの、ムッツリ間」
行為が終わったからと、鬱憤を晴らすように小憎らしいことを言って寝息を立て始めてしまうものだから、緑間も仕方なさげに眉を顰めるポーズで、緩みそうになる口元を必死で抑えるほかなかった。




**************************************************************




後日、飲み屋にて。

「や、まじ、効果絶大っしたわ。ありがとうございました先輩! あわや破局かとも思った時期がオレにもありましたっつーか、なんて言うか、ウン、雨降って地固まるっつーか、固まった後で地割れして地形変わってとんでもねーことになったっていうか、えーと、まあその。今度は真ちゃんが手加減してくんなくて困ってて、相談乗って欲しいっつーか……え? おっぱいでかい可愛い子はどうしたかって? あ、アハハ、すんません逃げられましたー……ってちょ! 待ってくださいよ先輩! 先輩に必要なのは彼女作る前にイケメン力鍛えることだと思うな!? だからプリーズ、可愛い後輩の相談に乗ってイケメン力あげましょーよ! ねえちょっと先輩ってばー!」