10年目の正直


コンロにかけたスープを味見する。
「…ん、こんなもんかな。」
火を止め、蓋をしておく。
スープOKサラダOK、付け合わせの野菜も完璧…あとはお肉を焼くだけっと…よし休憩!


コツン

「っと。あれ?いつから出てたんだ?」

食卓の椅子に腰かけて姿勢悪く背中を丸めると、首から提げているものが机に当たった。
胸元に手をやると、鎖の先に1つの指輪。その感触を確かめて、いつものように服の中にしまう。



『高尾。いつか…オレと………………』


一瞬たりとも忘れたことのない、愛しい人の、懐かしい言葉が脳裏に浮かび、嬉しいような、それでいて少し寂しいような気分に、自然と口元が緩む。



「…あれから…10年……か………。」










「なぁ真ちゃん、卒業したら、一緒に暮らさね?」


久し振りに部活に顔を出した帰り道で提案したオレを、緑間は少し驚いた顔で見た。

緑間とは、高1の夏の終わり頃から付き合い始めた。そして高3の冬、オレ達は同じ大学に入学を決めた。
しかし、クラスが違ってもお昼ご飯や部活、引退後は受験勉強と一緒にいられた今までとは違って、これからは会えない時間が多くなるだろうことは容易に想像できた。
最初の内は大丈夫かもしれない。しかし学部が違うから、互いに学部での付き合いもあるだろうし、段々と忙しくもなるだろう。緑間はバスケをやめるつもりだから、これまでみたいに部活で会うことも出来ない。まさかそのまま自然消滅ってことはないとは思いたいが、それでもこれまでみたいに会えなくなるのは、正直…寂しい。だから。

「ほら、ルームシェアっつの?家賃とか家事は分担で。ああ、料理はオレするけど。」

一緒に暮らせば、最低でも夜は一緒に過ごせるじゃん!
そんな軽い気持ちだった。
ルームシェアなんて、イマドキそんな珍しいことじゃないし?
宮地サンから、恋人と同棲する大学生も多いと聞いていたし、そういう気持ちもない訳じゃないけど、そう言うと緑間は嫌がるかもしれないからあくまでルームシェアだと言い張ることにする。それならきっと緑間も、受け入れてくれるだろうと、そう思っていた。
だから、少しの沈黙の後口にされた言葉に、オレは少なからずショックを受けた。

「…この話は聞かなかったことにする。」

正直断られるだなんて思ってなかった。だって、緑間も寂しい気持ちは一緒だと思ってたから。
学部はどうしようもないけど、できるだけ離れたくないから、同じ大学を選んだ。そして緑間も、言葉にはしなかったけれどそれを喜んでくれていたはずだ。だからこそ共に勉強し、分からないところを教えてくれたはずだ。

「…そっか、わかった。…変なこと言って悪ぃな?」

謝ると、緑間が一瞬焦ったのを気配で感じた。
「高尾。オレは…」
「そういやさ、1年の佐々木ってわかる?PGの!あいつこの1年でスゲー伸びててさぁ…」
緑間が何か言い出す前に話を変えた。だってなかったことにするんだし、そうするしかねーじゃん?オレは緑間が何か言いたげなのに気が付きながらも、何も言えないように、どうでも良い話を続けた。


その数日後、再び部活に顔を出しての帰り道。
「高尾。」
「んー?何よ真ちゃん。」
「明後日の夜は空いてるか?」
「明後日…ったら土曜日?空いてっけど?」
「なら夕食を食べるぞ。」
「はい?」
「…話があるのだよ。」
一瞬ギクリとした。こないだの話がよみがえる。
「…ここじゃダメなのか?」
かすかに声がこわばる。
「ああ。」
「…わかった。待ち合わせ、任せるから。メールで送って。」
そう言ったら、翌日の夜になってメールが送られてきた。集合時間は夜6時。本当に夕食だけなのだろう。相変わらず用件のみの簡素なメールだから、何を考えているのかさっぱりわからない。


待ち合わせ場所には、約束の10分程前に着いた。緑間はまだ来ていない。
時間になってもまだ来ない。珍しいなとちょっと心配になる。今日の蟹座は確か4位。悪くない。ラッキーアイテムは…あれ、何だっけ?
5分ほど過ぎたところで、視界の端に走ってくる緑間の姿が映った。
「すまない。遅れたのだよ。」
「うんにゃー、だいじょーぶなのだよ。」
真似をするなと眉間にシワを寄せる緑間に笑いかける。
「真ちゃんが遅刻なんて珍しいな。ラッキーアイテム見付かんなかった?今日何だっけ?」
「今日のラッキーアイテムはダイヤの指輪なのだよ。母に借りられたから、すぐに手に入った。流石にサイズが合わないから、身に付けるわけにはいかないが…。」
とコートのポケットから、恐らく指輪が入ってるのだろう小箱を取り出す。
「ちょちょちょ真ちゃん!それ高いんだろ?!そんな不用心にポケット入れといて大丈夫なのかよ?っつーかサイズ合ったら着けんの?!危なくね?」
「身に付けた方が運気が上がる。ラッキーアイテムを落としたりはしないのだよ。」
「まぁそうかもしんねーけど…。男がダイヤの指輪かよ…。」
「それより、店に向かうぞ。こっちだ。」
「ああ、うん。」
身を翻して歩き始める緑間を追いかける。

あれ?

緑間がコートのポケットに両手を入れている。珍しい。普段は姿勢も行儀もうるさいから、そんなこと絶対にしないのに。流石に高価なラッキーアイテムが気になってんのかな。でもそれなら片方だけでも良いよなー…。ま、いっか。

目的地がわからないまま、緑間の後ろについていく。
ついていく…と………。
「ちょっとタンマ真ちゃん。」
「なんだ?」
「ほんとーにココ…入るの?」
「そうだが?何か問題か?」
「いや、問題っつーか!ここ!このビル!高級レストランばっかりで、大人のデートで使われるようなお店ばっかりだろ?!高校生が、こんな格好で入る店じゃねーって、オレだって知ってんだよ!」
「落ち着け高尾。別にドレスコードがあるわけでもないのだよ。」
「でもさー…。」
緑間の服装をちらりと見る。上までしっかりと留められたネイビーのシャツにショート丈のグレーのテーラードジャケット。目の前のビルの大人びた雰囲気にもよく合っていると思うのは、惚れた欲目だけではないだろう。だがしかし。一方のオレはと言うと、一応ブランドものとは言え、プリントTシャツにジーンズを履き、モッズコートなんて合わせちゃってるんだよ。どれだけ贔屓目に見ても、こんな大人のお店には似合わないと思う。
オレが頭を抱えていると、緑間は腕を組み、1つため息をついた。
「大丈夫なのだよ高尾。両親に連れて来られたことがあるが、お前みたいな服装の客もいた。問題はない。それに、もし本当にドレスコードが必要なら、オレだって前もって連絡するのだよ。連れが変な格好をしていたら、一緒にいるオレまで恥をかくだろう。」
何だか随分と偉そうな姿勢で、上から目線のセリフだが、オレを慰めようとしているのは分かった。
「…ん。」
が、問題は服装だけじゃない。むしろそちらの方が問題としては大きい。
「…っつか真ちゃん。切実な問題としてさ。」
「…今度はなんなのだよ。」
心底嫌そうな顔をされる。言いたくない。…が、言わないと後でもっと問題になる。腹をくくる。
「わりぃ。オレそんなに手持ちがない。」
ラッキーアイテムに何万も出せる緑間と違って、オレは普通の高校生だ。普段からそんなに大金が財布に入ってるわけがない。
しかし緑間は平然とした顔をしている。
「なんだそんなことか。それも問題ない。今日は最初からオレがおごるつもりなのだよ。」












オゴル?

owngoal?

いや、真ちゃん。サッカーならともかく、バスケでowngoalはねーのだよ。








「いやいや!それはダメだって!」
ようやくオゴル=奢るだと理解して、慌てて止める。
「何がなのだよ。今日はオレが誘ったのだし、オマエだってオレに汁粉を奢ったりするだろう。」
「額が違いすぎだから!」
「黙れ!良いから、オマエは黙って奢られろ!」
声を荒げられ、思わず体が強張る。緑間も自身の大声に驚いたようで、軽くため息を落とし、一転落ち着いた声で言われる。
「話があると言っただろう。不本意かもしれないが、今日はオレの言うことを聞くのだよ。」
「…ハイ。」

無言のまま、緑間の後ろについてエレベーターへ入った。
「…いきなり大声を出して悪かったな。」
「…ん。だいじょぶ。まぁオレにしたら、タダで美味い飯食えるわけだし?ラッキーだよな!」
ホントは、怒鳴られたことなんてまったく平気だった。ただ、その理由がわからなくて、怖いだけだった。
なぁ真ちゃん?話って何だよ。何で突然、こんな高そうな店に連れてきたんだ?奢るって何なんだよ。
オレに何を言いたいんだ?



なぁ。



何考えてんだよ。






エレベーターが最上階に到着すると、緑間は迷わず奥へ進んだ。店に入ると、スーツの店員が笑顔で対応してきた。
「予約をしていた緑間ですが。」
オイオイ、予約までしてたのかよ。

「こちらへどうぞ」と案内をされる。ホールの横を通り過ぎた時に、こっそりホークアイで周りを見ると、確かに他の客の年齢層は高めだが、服装はそれほどではない。ジーンズ履いてる人もいんじゃん。バレないようにホッと息をついた。
「こちらです」と扉の前に案内された。え、マジ?個室かよ?!とかビビってたら、
「高尾、先に入れ。」
と促された。何だよ、と思いつつ緑間の前に出ると、店員がタイミングを見計らって扉を開けた。


「ぅわーっ!!」
扉が開くと丁度正面の壁が一面ガラス張りになっていて、そこからは東京の、きれいな夜景が一望できた。
「すっげー!ちょーキレー!!」
思わず部屋に入り、そのまま窓にへばりつく。
「ちょ、真ちゃん!これ、ヤベー!見ろよコレ。」
と振り向いて手招いたところで、店員の姿を認めて固まった。…完全に忘れてた…。緑間は片手に顔を埋めて、深くため息をついたが、笑顔の店員に促されて中に入り、オレの向かい側に座った。
そのすぐ後ろから入ってきた店員は、羞恥心のあまり椅子に座って縮こまっているオレに向かって
「この個室は、ウチで1番夜景が綺麗な部屋なんですよ。喜んでいただけたようで嬉しいです。」
とニコリと笑いかけた。…ヤベぇ、対応がイケメン…!!
「ドリンクはいかがなさいますか?」
「高尾、何か飲むか?」
「え?オレ酒飲めねぇよ?」
「バカか。何故未成年に酒を勧める。ソフトドリンクなのだよ。」
「なんだ。オレは何でも良いし、なくてもへーき。」
「じゃぁ…オレンジジュース2つお願いします。」
「畏まりました。」
彼が退室し扉が閉まった瞬間、オレはテーブルに突っ伏した。
「はぁ〜…恥ずかったー…。」
「それはこっちのセリフなのだよ…。だが、気に入ったか?」
「あぁ!すっげーキレー。」
と笑うと、緑間は不敵な笑みを浮かべた。

コースの料理はどれもすっげー美味くて、デザートまで食べ終えた時には、オレはもう幸福感でいっぱいだった。
「高尾。」
そんな時に、真剣な声で名前を呼ばれて、オレはあぁ、ついに話が始まるんだと、内心ギクリとした。
わざわざ個室を取るなんて、余程周囲に聞かれたくない話なんだろう。例えば……別れ話。この豪華な食事は、俗に言う手切れ金と言う奴なんじゃなかろうか。

…良いよ。それがオマエの望みなら、ちゃんと別れてやるよ。もし友達に戻りたいって言うなら、ちゃんと戻ってやる。元々叶うわけのなかった恋が、叶っただけでも夢のようだったんだ。この2年半、すげー幸せだったんだ。だから、オマエが望むなら、笑ってそれに従ってやるよ。
「…なに?真ちゃん。」
すると緑間はジャケットのポケットから何か取り出し、コツンと音をたてて、机の上に置いた。しかし緑間の大きな手に覆われていて、全く見えない。
さっきのラッキーアイテムか?とも思ったけど、ポケットが反対だ。さっきは確か右側のポケットにしまっていたはずだが、今は左側から取り出した。そっちにも何か入れてたのか?

「……今現在の日本では、男同士の結婚は認められていない。」
少し言い淀んでから、緑間はそう始めた。
「…そだね…。」
やっぱり別れ話か…。笑って別れてやると思っていたのに、思わず机の下に隠して握った両手に、力がこもる。
「そんな男同士には、結婚に代わる1つのけじめがあるらしいのだが、分かるか、高尾。」
「いや…。」
「…一緒に住むことなのだよ。」

そう言って、緑間は机の上に置いた左手をオレとの中間地点へと進ませた。

「それでも、オマエはオレと一緒に暮らしたいか?」
「え?えー…と…。」

いきなり問われ、オレは困惑する。別れ話かと思ったらいきなりけじめだとかどうとか…一体この話がどこに落ちるのか検討もつかない。それにオレも一緒に暮らそうとか言ったけど、正直そんな深くも考えてなかったし。

「もしそれでも一緒に暮らしたいと願うなら、これを受け取れ。」

そう言って、左手を浮かせた。
その下には、先ほどラッキーアイテムの指輪が入っていたのと同じ、小箱が表れた。しかし、色が違う。先ほどの箱は臙脂色に近かったが今目の前にあるこの箱は、紺色をしていた。



「高尾。…オレ達はまだ学生で、親の庇護なしには生きることもできない。結婚なんてできるわけがない。
しかし、オレは大学に入った後にオマエと会う時間が減るのは…正直好ましくないのだよ。もしオマエも同じ気持ちなら。オレが共にありたいと願うように、オマエも願うならば、1つのけじめとして、これを受け取って欲しいのだよ。
オレは、オマエも知っている通りバイトもしていない。だから給料3ヶ月分なんて相場はない。ダイヤもないし、プラチナでもない。ホワイトゴールドだ。だが、一応はそのつもりで買ってきたのだよ。」


そう言って、小箱の蓋を開ける。




箱の中には、銀色に輝く、指輪が入っていた。
波のような彫刻が入った、シンプルな指輪だ。

言葉もなく、オレはその指輪と、目の前の相手を見比べた。






「高尾。
いつか…オレと………………







結婚してください……。





…一緒に暮らそう。」








頭の中が真っ白になった。


今、コイツ…なんて……。







「な、何言ってんだよ。だってオマエ、オレがこないだ一緒に住もうって言ったら、この話は聞かなかったことにって…!」
オレの言葉に、緑間は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「オレは、オレからしたかったのだよ。」
「は?」
「場所やタイミング、シチュエーションまで、あらゆることに人事を尽くし、一生涯記憶に残るようなプロポーズをしようと思っていた。それなのにあの日、あんな通学路で、オマエからあっさりと言われたこちらの身にもなってみろ。」
いかにも憎々しげな顔でオレを睨み付けられる。っつかその目付き!プロポーズしたばかりの相手に向ける目付きじゃねーよな?!フツーに怖ぇよ!
「それも何がルームシェアだ。オマエと共に暮らして、単なるルームシェアになる訳がないだろう。」
「………えと…なんつーか……スイマセンでした。」
「ふん。…で?どうなのだよ、高尾。」
「え?どうって?」
「だから、返事なのだよ。言っておくが、オレは気が長くない。保留などは受け付けないのだよ。」
「…ブハっ!オマエなー…。オマエが先に断っといてそれどうなの?人がせっかく言ったの聞かなかったことにするとか言っといてさー。あれかーなーり!ショックだったんだぜ?んで保留はダメ?唯我独尊にも程があんだろ。っつか重ぇよ!18でプロポーズ?なんなのソレ?オレらが男女のカップルだとしても、もっと軽ーく同棲すんだろ。」
文句を言う度に緑間の眉間の皺が増えていく。が、怒っているのではない、不安で、心配な時の顔だ。

…あーあ。

「…ったく…!オマエのそーゆートコ、ほんと好きだわ。」

そう言って、机の上の小箱を手に取り、緑間に渡し、それと同時に、左手を差し出した。

「ん。…オマエがハメろよ。……それとも、『不束者ですが、よろしくお願いします』とか言った方が良い?」
「…ふん。だからオマエはダメなのだよ。」
そう言って、緑間は小箱から指輪を取り出した。

「オマエが不束者な訳がないのだよ。何故なら、オレが愛した男なのだからな。」

そのセリフは、オレの左手の薬指に、指輪をつけながら言われた。
指輪は、オレの指にピッタリだった。


「ブフゥ!真ちゃん言うねー…!っつかサイズぴったりだし!なんで?!」
「オマエの薬指は、オレの左手の小指と同じ太さなのだよ。伊達に普段から触れていない。」
「マジで…?オレ全然知らなかった…!っつか指の太さなんて気にしたことねーしな。」
「だからオマエはダメなのだよ。」

いつも通りの掛け合いに、2人してクスクスと笑う。その笑った顔のまま、緑間が尋ねてきた。
「さて高尾、明日オマエのご両親はご在宅か?」
「へ?いるはずだけど?」
「よし、じゃぁ明日互いの両親に挨拶に行くのだよ。」
「…カミングアウト?」
「したいのか?」
慌てて首を振る。
「いーえ!」
「まぁルームシェアと言えば良いだろう。」
「…ならオレが言ったのと一緒じゃーん…。」
「オレ達2人が同棲だと、婚約だとわかっていれば良いのだよ。それと…」
横に置いていた鞄からクリアファイルを取り出し、机に置く。
「今日2人暮らし用物件の書類を貰ってきたから、取り敢えずこれから店を変えて、いくつかに絞るぞ。明日の午後はそれを見に行くのだよ。」
「ブフォ!真ちゃん仕事早すぎ!っつか、返事聞いときながら、断られるつもりなかったろ?!」
「当然なのだよ。何故なら、おは朝で今日の蟹座は4位だが、恋愛運だけで見るなら12星座中1位。更にラッキーアイテムで補正している。つまり、オレのプロポーズが断られるはずがないのだよ。」
「真…ちゃん…ドヤ顔やめて…。」
笑いすぎて言葉も途切れ途切れのオレは、そのまま会計を済ませて店を出て、次のお店に入るまでずっと笑い転げていた。
店員はニコニコしながらも不思議そうな顔をしていたし、緑間も眉間に皺を寄せていた。
でも、それでもオレは笑うのをやめない。
だって笑ってないと、泣いちまいそうだったから。


オレ、オマエと別れることだって覚悟してたんだ。
それなのに。オマエは、オレと共に生きることを選んでくれた。

それがすげー嬉しい。
それと…分かっちゃったから。
今日待ち合わせを夜にしたのも、指輪を買って、不動産に寄ってたからだよな。
それでも遅れる位、考えてくれたんだろ?
それが分かっちゃったから。
嬉しくて、嬉しくて泣きそうだったから。
だからオレは腹を抱えて笑う。


オレが泣いたら、真ちゃんも気まずいだろ?













それから互いの両親に挨拶を済ませ、部屋も選んで3月末に引っ越し。同棲を開始すると共に、オレ達は『婚約』した。

それが、10年前の今日。






10年間緑間と共に暮らす中で、色々なことがあった。けしていつも順風満帆ではなかった。
何回も喧嘩したし、家を出て友人の家に泊めてもらったこともある。出ていかなくても、1週間程会話はおろか、目さえ合わせなかったこともあった。同棲をやめようかと、別れようかと話し合ったことも数知れない。
それでも、その度に2人で話し合い、解決して、仲直りして、それで今日、10回目の記念日を迎えた。



今、高尾は建築士として、緑間は弁護士として、それぞれ雇われの身だ。高尾は持ち前の高いコミュニケーション力と空間認識能力で客からの評判も上々で、少しずつ任される仕事も増えてきている。緑間も、まだ見習いながらも、1つ1つの案件に人事を尽くし、順調に仕事を増やしているようだ。

しかし、2人の関係は今も変わらない。

緑間が国家試験に合格した年、双方の親にカミングアウトした。4人とも、ひどく動揺していたし、一緒に暮らす内に生じた家族愛を勘違いしているんじゃないかとか色々と言われたが、最終的には諦めてくれた。2人が幸せなら良いと、何とか認めてくれた。
しかし、それで何かが変わるわけでもなく、形式的な何かもないまま、2人の『婚約』は続いていた。
いつか結婚してくださいっつったけど、いつかっていつだよ…。っつってもまぁ?オレらの場合は籍を入れるわけでも式をあげる訳でもねーし?一緒に暮らすのが1つのけじめっつーなら、これ以上はねーしな。ま、このまんまでも問題はねーか…。




チャイムの鳴る音に、玄関へと出迎えに行く。
「ただいま。」
「お帰りー。お疲れさん。」
靴を脱ぎ、そのまま軽く身を屈めた緑間の肩に手をかけ、軽く口付ける。行ってらっしゃいとお帰りのキスは、10年間続く習慣だ。喧嘩中以外は欠かさないようにしている。
しかし今日はいつもと違った。緑間がオレの腰に両手を回して強く引き寄せると共に、オレの唇をペロリと舐める。意を察して、オレも肩に置いていた手を首に回し、閉じていた唇を開いて緑間の舌を出迎える。そのまま息をする間もないほどの濃厚なキスをしたので、唇を離した頃には、2人とも軽く息が上がってしまった。どちらのものとも知れない飲み切れなかった唾液が口の周りを濡らす。それを親指でぐいと拭い、そのまま舐めとる。
「…真ちゃんどした?今日はずいぶん情熱的じゃねーの…。
「…記念日だからな。」
「ゥハッ真ちゃんカッコイー!よし、着替えてこいよダーリン。予告通り今日の夕飯はステーキだぜ?」
「分かっているのだよハニー。それに合うだろうワインも買ってきている。」
「ブフフォッ!真ちゃんが、ハニーって…しかも真顔で…!」
腹を抱えて笑っていると、ぺちりと頭をはたかれ、紙袋を渡される。
「ワインとつまみが入ってるのだよ。出しておいてくれ。」
「ィエッサー。」
着替えるために自室に入る緑間を敬礼したまま見送った後、袋をテーブルに置く。肉を冷蔵庫から出して室温に置いた後、袋からワインを取り出す。
「うわー。また高そうなの買ってきたなー。肉も奮発して良かったわ。」
真ちゃんが着替え終わったら焼き始めて〜…あ、つまみはやっぱりこれか。駅前のチーズ専門店。んまいんだよなー。真ちゃんこの店のチェダーチーズ、すっげー好きなんだよな…まぁオレもだけど。
「…ん?軽い…?」
チーズの箱を袋から取り出して、違和感を感じる。
「…真ちゃんケチった?まぁいっか。」
量り売りのチーズだから、量を少な目にしたのかもしれない。深くは考えず、台所へ持っていき、蓋を開く。



「……え…………?」



息を飲み、片方を手に取って間近で観察する。


「…………っ……!」




急いで元に戻して蓋を閉じ、片手につかんで踵を返す。緑間の部屋へ向かう。
ノックもせずに扉を開くと、着替え中の緑間が音に気が付き振り返る。
そのまま何も言わずに走って、緑間の胸に飛び込む。
緑間も予想をしていたようで、あっさりとオレを抱き止める。
体格差があるとはいえ、全力でした体当たりをあっさり受け止められるのは、男としてビミョーに悔しい。

「……ったく…何がつまみだよ…。バカヤロ…。」
「…気に入らなかったか?」
裸の胸に顔を押し付けたまま首を振る。緑間の臭いが鼻腔をくすぐる。
「んな訳ねーじゃん!」
「…良かった。人事を尽くした甲斐があったのだよ。」
「ブっ…人事の尽くし方間違ってんだろ…バカエース…。」
「でもオマエは驚いたし、喜んだのだろう?…それなら間違ってないのだよ。驚かせたかったし…喜ばせたかったのだから。」
「驚かせるにしても、もうちょい別のやり方がさぁ…。」
「オレが変わったことをしたら、オマエは感づくだろう。…それとも、ダイヤでもついてた方が良かったか?」
「は?」
思わず緑間の胸につけていた顔を離し、視線を顔へ向ける。
「Sweettendiamondと言う言葉があるらしいな。10年目の結婚記念日にダイヤのアクセサリーを贈ると聞いたのだよ。まだ結婚記念日ではないが…そちらの方が良かったか?」
「いやー…女じゃねーし、ダイヤの指輪もらってもつけらんねーよ。あ、でも…」
思わず頬が緩む。
「…ラッキーアイテムになるかも?」
「懐かしいことを…。」
軽くため息をつく緑間に笑いかける。
「懐かしいって、真ちゃんも、いつの話か覚えてんじゃねーの?」
「当然なのだよ。…あの日のことなら、昨日のように思い出せる。」
「へぇ〜。んじゃさ、1つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「真ちゃんさぁ、あの日場所やタイミング、シチュエーションまで、あらゆることに人事を尽くすっつってたじゃん?」
「…言ったな。」
「綺麗な夜景に豪華なディナーをご馳走して、お酒はないけどムード満点の夜…確かにドラマにでも出てきそうなシチュエーションだけど、あれってどう考えても女性向けじゃね?男相手にするもんじゃねーだろ。」
「…まずプロポーズは一般的に、男相手にするものじゃないと思うのだよ…。」
「いや、そりゃそーかもしんねーけど。」
「それにオマエは覚えているんだろう?」
「へ?」
緑間は、くすぐったいような照れくさそうな、嬉しそうな顔で微笑む。
「言っただろう。一生涯記憶に残るようなプロポーズをすると。実際オマエは10年も前の話なのに、オレのセリフも、オレが尽くした人事も、しっかりと覚えている。それなら、あれで正解だったのだよ。」
…そ、んな顔で笑うなよー…こっちが照れるっつの…!
緑間はオレの首の鎖を指にひっかけ、引き上げる。そこには10年前にもらったエンゲージリングがぶら下げてある。本当ならずっと身につけていたいが、指輪はバスケをするのに邪魔だし、結婚指輪でもないものを仕事中に着けている訳にもいかない。これなら邪魔にならないし、服の下に隠せるから、風呂に入る時と寝る時以外は、基本的にそこに着けるようにしている。最初は火神とカブるからやめろと言っていた緑間も、理由を言ったら承知してくれた。
取り出した指輪を、そのまま弄ぶ。
「それに何より…あれは、オレがする、生涯最初で最後のプロポーズだ。その相手が男だろうと女だろうと、プロポーズとして最高のものをしたかったのだよ。」
「…真ちゃん…。」
あ…ダメだ…頬が熱い…。オレぜってー今顔真っ赤…。
「高尾。顔を上げろ。」
軽く首を振ると、俯くオレの顎に手をかける。抵抗もむなしく顔を上げられたと思ったら、オレの顔を見て小さく息を飲む。
キスをされると思って目を閉じると、あっさり手を離され、感じていた体温がなくなる。目を開くと、緑間は既にオレに背を向け、途中だった着替えを再開していた。
「え…ちょ、真ちゃーん?」
返事がない。
「ちょっと真ちゃん、無理矢理人の顔見といてそんなすぐ目をそらすって失礼じゃねーの?そりゃ今さら見て楽しい顔じゃねーかも知れねーけどさぁ…。」
「バカ。逆だ。」
シャツのボタンを上までしめた緑間が振り返り、再度オレの顎に手をかける。

「…潤んだ瞳に真っ赤な頬。…今オマエにキスをしたら、止まる自信がないのだよ。」
「んなっ!」
「早く飯を食べるぞ高尾。その後はソレを着けたオマエを存分に可愛がってやるのだよ。言っておくが、誘ったのはオマエだ。拒否権は認めないのだよ。」
そう言って緑間は、鞄からオレの持つ箱の本当の中身だろうチーズを取り出して、部屋を出て行った。緑間の部屋に1人残されたオレは、
「…誘ってねーし…。」
と呟きながら、指された箱をもう1度開く。

箱は緑間お気に入りのチェダーチーズの箱。
しかし中にはチーズの代わりにスポンジが詰められ、切り込みに2つの指輪が置かれている。
指輪を手に取り輪の内側を見る。今日の日付と“S&K”の刻印。そして指輪の横には、緑間の字で書かれたメモ。


“今日の蟹座は1位なのだよ。”



オレは1つ吹き出して、また蓋を閉め、緑間の部屋を出る。
「さて、ステーキを焼きますか。」

夜はまだ長い。





『婚約』してちょうど10年。
2人の同棲記念日は、今日から、2人の結婚記念日になった。